あのレースの……
【スパーク ケータハムCT05 小林可夢偉 日本GP 2014】
小林可夢偉の最後の母国F1レースとなった2014年日本GP仕様のモデル。ビアンキの事故があったのでモデル化されることはないと思っていたのですが、ひっそりとリリースされていました。
2014年後半のケータハムはそれはもうひどい惨状で、可夢偉選手はケータハム・マルシャの最下位争いでは抜きんでた能力を見せていたものの入賞は夢のまた夢であり、それどころかチームが破産・売却されオーナーがコロコロ変わったことで1戦シート喪失、2戦の欠場というレースすらまともにできない日々が続いていきます。
当然彼の母国日本GPに向けた用意なんてものはなく、それどころかチームメイトが新型パーツを使う一方で旧型を使うことを余儀なくされ、耐久性不足から破損してフリー走行でコースオフなんていう懲罰のような母国レースとなってしまいました。このレースは本当に悲しかった。ビアンキの事故が無くても悲しい週末だったのです……。
少しだけスポンサーが変わった日本GP仕様。このモデルは鈴鹿サーキットから少数リリースされたもののようで、中古市場で頻繁に目にする会場販売されたマレーシアGP仕様とは異なり全くと言っていいほど出回っていないようです。日本人が日本GPを出走したので企画・製作したものの、事故があったので大々的に売り出せなくなってしまったのかなぁと想像しています。
えげつない形をしていたCT05のノーズですが、後半戦のベルギーGPから形状が変更されこの年のトレンドに近い穏やかな突起になりました。この変更があるので後半戦仕様はちょっと人気ですよね。まぁ、いい思い出はないのですが……。
悲しい悲しい、最後の日本グランプリとなってしまったこの2014年。「そもそもケータハムからの復帰が間違いだったよな」という意見は大正解にして短絡的かなと思っていて、近年F1を浪人して復帰できるリミットって1年が限度じゃないですか。2年以上離れて戻ってきたのってチャンピオン経験者くらいしかいないですし。なので2013年に戦線を離れた可夢偉選手にとって復帰のチャンスは2014年しかなく、そうなると現実的に得られたシートはこのケータハムくらいだったのかなぁと、10年経って少し落ち着いた目線で評価できてしまう自分がちょっと悲しいです。
やっぱり全ての転機は2012年だったと思うし、その勝負に運も含めて負けてしまったのだと思います。でも負けたなりに最大限の成果を残したなというのが私の小林可夢偉評。次にこのレベルの戦いに挑める日本人が現れるのはいつになるのでしょうか……。
どんな最後だったからって、この日本GPの表彰台が色あせるわけじゃないのです。でも次に日本人が表彰台に乗るなら、こんな一世一代の大勝負みたいな場面じゃなくて、トップチームでサクッと乗ってもっと上を目指せる時であってほしいなと思います。
コメント