マクラーレン MP4-29 J.バトン オーストラリアGP

マクラーレン2014

移行期という言い訳

【ミニチャンプス マクラーレンMP4-29 J.バトン 2014】
1995年から20年間も続いたマクラーレン・メルセデスのパートナーシップ最後の年。翌年のホンダへのスイッチが事前に発表され、PUはワークスのメルセデスはもちろん、カスタマーのウイリアムズやフォースインディアにも劣る仕様だったと噂されます。 

開幕戦オーストラリアGPではリカルドの失格で繰り上がりで3位を獲得。マグヌッセンの2位と合わせ、マクラーレンは2019年にサインツがブラジルGPで初の表彰台を獲得するまで長らくこれが最後のポディウムとなりました。バトンにとってはキャリア最後の表彰台だったのですが、事後の繰り上がりだったので残念ながら登壇できていないんですよね。

ブロッカーサスペンションなどマシン開発に試行錯誤をしたものの目立った成果はなく、後半戦こそポイント上位を争い戦いましたが前年に続き名門は復調できないままでした。翌年は更に悪化するのですけど……。PUパワーが物をいう時代で、ワークスと同じPUでも多くのデータを開示されないというのは大きな痛手だったのだろうと思います。そんなわけで、この年は言い訳つきますよね。

2013年末から話題になっていたタイトルスポンサー「ボーダフォン」の後任問題。テストは暫定カラーでお茶を濁し、開幕戦もこの「Mobil1」とのパートナーシップ20周年記念カラーでやり過ごしましたが、結局大口スポンサーは確保できませんでした。シーズンを通してサイドポッドのロゴが色々変わりミニカーもいくつか出ましたが、この「Mobil1」仕様が一番好きです。印象に残っているのはイエローの「SAP」なんですけども。

マグヌッセンの荒いが勢いある走りに押され気味だったバトンですが、父親を亡くしたことを期にヘルメットをピンクに変えてからは別人のように力強い走りを見せました。イギリスGPでは最後の最後まで表彰台を掴もうとリカルドを追いかけた姿が印象的でしたね。

翌年に向けてはアロンソの復帰でシート喪失の危機もありましたが、無事残留に成功。実力云々より当時の深刻なスポンサー事情を鑑みての結果だったのかもしれませんが、後のホンダとの地獄の2年間を思うと雇っておいて大正解でしたよね。

マクラーレンがタイトルスポンサーを失ったのは2006年以来の出来事。当時は「WEST」のタバコマネーを失った直後でしたが、アロンソ・ハミルトンの大物二人の起用とボーダフォンという大口スポンサーを控えていたので余裕がありました。2014年も内心「来年にはホンダが来る」と余裕綽々だったりして……。

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