フェラーリ 312T5 G.ヴィルヌーブ イタリアGP

フェラーリ1980

今なお残るコーナー名

【ブルム フェラーリ312T5 G.ヴィルヌーブ イタリアGP 1980】

マシンの深刻な低迷にも挫けず限界までプッシュを続けたこの年のジル、しかし時にはその代償で大クラッシュを引き起こします。

この年はイモラサーキットで開催されたイタリアGP。不振の今シーズンの例にならって、ジルは8番手スタートから何とか上位に食らいつく苦しいレース展開となります。不振でもイタリアはフェラーリのお膝元、ファンやチーム関係者が皆好成績を期待するのは自然な流れだったでしょう。

そんなレースでジルは5周目に早々にリタイア。しかも5-6コーナーにかけての大クラッシュで、母国でマシンを大破させてしまいました。面目丸つぶれのフェラーリからさぞお叱りを受けるかと思いきや、代表のエンツォは無事に戻ってきたジルを満面の笑みで迎え入れたという逸話が残ります。

エンツォにとって、ジルは自身の理想としていた戦前の伝説的ドライバー、タツィオ・ヌヴォラーニの再来と評し、息子のディーノと同様に寵愛していたとされます。地元での大クラッシュでフェラーリとしては最悪の結果でしたが、エンツォはチーム成績よりもジルの生還を喜んだという有名なエピソードです。

そんな逸話もあり、彼の死後現在までイモラサーキットの5-6コーナーはヴィルヌーブコーナーとして名を打たれています。そんな名シーンをブルムが逃すはずもなく、しっかりとモデル化されています。大破したマシンのモデル化といのは非常に珍しいことですね。

好成績を見込めない状況においてドライバーの生還が喜ばれたこのシーン。ジルの攻撃性が牙を剥いたシーンですが、その後のエピソードも含めて美談とされています。個人的には前年タイトル争いを経験していたので、もしこの年も競争力のあるマシンであれば彼はより成績を追求した、王者を目指した走りになっていたのかなと”if”を想像してしまいます。しかし現実はこの通りで、彼は常に限界まで走ることを余儀なくされ、そのキャリアを決定づけてしまうシーズンとなってしまったのでした。

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