ウイリアムズ FW30 中嶋一貴 ショーカー

ウイリアムズ2008

あの時の噂

【ミニチャンプス ウイリアムズFW30 中嶋一貴 2008】

日本人初の親子2世代F1ドライバーとして中嶋選手がフル参戦を開始したのは2008年。エースのロズベルグと同じ5度の入賞を記録しましたが、「これ」というインパクトが残せませんでした。

2008年の開幕戦、完走扱いわずか8台という大荒れのオーストラリアGPから始まったフル参戦初年度は6位完走という上々の滑り出しだった中嶋選手。結果的にはこれがF1キャリアでの最高位となりました。モナコGPではこれまた雨で荒れたレースを生き残り日本人初入賞を記録。ただ地味に何事もなくコースに残ったという印象が強く、戦って生き延びたという感じではありませんでしたね。

更なる飛躍が期待された翌2009年は相次ぐ不運とミスにより尽く入賞のチャンスを逃し、当時ウイリアムズ史上2人目のフル参戦ながら無得点ドライバーの不名誉な記録を残してしまいます。一説にはタイヤが左右逆に取り付けられるなどチームの冷遇もあったとされますが、私は日本GP予選Q1でS2まで突破タイムだったもののS3で大失速し17位で終わったところで完全に見切りをつけてしまいました。

こちらは私のコレクションには珍しい数少ないショーカーです。地方の学生だった当時、送料も馬鹿にならず人気のないモデルを買う資金はありませんでしたが、親が東京に出張に行った際に「2008年のウイリアムズ」を頼んだら買ってきてくれた思い出があり手元に残しています。ほんと、無知な新規ファンにはわかりにくいホビーでしたよ……。

自身のミスはもちろんチームの作戦ミスに加え入賞確実という時にはピットミスまで発生し、ありとあらゆる不運が中嶋選手を襲った2009年。終盤に登場した小林可夢偉のインパクトで全てがかき消されてしまいましたが、この時の逆境が力になったか後にルマン24時間レースを3度優勝する耐久の雄となりました。裏を返せば、ルマン3勝分のトラブルがウイリアムズで起きていたのでしょう。当時は本当に冷遇されてたっぽいよね……。

トヨタ、そして日本人&日本車で初の総合優勝を記録した2018年。F1時代には横に立つことすら叶わなかったアロンソと並んでの表彰台は中嶋選手のF1後の成長を力強く示してくれました。

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