ルノー RE40 A.プロスト フランスGP

アルピーヌ・ルノー1983

こぼれ落ちた初タイトル

【スパーク ルノーRE40 A.プロスト フランスGP 1983】

プロストが初のタイトル争いに挑んだのは1983年。同郷ルノーのエースとしてシーズン最多4勝を挙げますが惜敗、責任を巡ってチームと対立しルノーを離れます。

グラウンドエフェクトが禁止されフラットボトム規定初年度となった1983年。フェラーリ・ルノー・ブラバムの三強になったF1でまだ4年目の若手プロストは首位を独走し、4勝を挙げて選手権をリードします。

2人が安定するも突出しないフェラーリ勢、表彰台は多いが勝利のないピケ相手に初のタイトルは見えていたのですが、後半に不運が襲います。

後半第12戦オランダGPでタイトルを争うピケと接触し両者リタイアすると、続くイタリアGPではアキレス腱だったターボトラブルにより連続リタイア。ここを制したピケに大差を詰められます。

プロストはオランダGP以降勝利がなく、最終戦南アフリカGPでは5番手グリッドから再びのターボトラブルでリタイアし、わずか2点差でピケにタイトルを譲る結果となってしまいました。

素性の良いマシンながらターボの信頼性に泣いた「RE40」。ルノーは1986年の第1期活動終了までこの年のプロストの勝利が最後の優勝となってしまいました。

プロストにとっては大荒れの前年1982年を2連勝で迎えるもリタイア連発で敗戦した翌年だっただけに、この改善不足は受け入れがたいものだったでしょうね。

この年の僅差の敗戦を受け、チームとプロストは公然に批判しあい関係は決裂。プロストは同郷チームでのエース待遇を失い、古巣マクラーレンへの出戻りを決意しました。

当時の記録を見るとルノーは勝利・表彰台も多く間違いなくこの時代のトップチームの一角だっただけに、彼の在籍3年間でのリタイア率4割越えという信頼性不足はあまりに痛い不備でしたね。

上位完走で耐え終盤の連勝でタイトルをさらったこの年のピケ。既に81年に王者となっていた彼と4年目の若手プロストでは、経験の差が出たシーズンだったのでしょうか。