プロフェッサー、デビュー

【スパーク マクラーレンM29 A.プロスト アルゼンチンGP 1980】
偉大なチャンピオンの一人、アラン・プロストがF1デビューを果たしたのは1980年。同郷フランス系チームでの参戦を希望しますが叶わず、低迷期のマクラーレンからF1に挑みました。

ヨーロッパとフランスのF3を制しF1の門を叩いたプロスト。同郷リジェからのデビューを希望しましたが叶わず、テストで好タイムだったことが目に留まりマクラーレンからの参戦となりました。
当時のマクラーレンは創業期終盤、ロン・デニス体制への移行直前期とあって低迷していましたが、この年縁を繋いだことは後のキャリアに大きな好影響を及ぼします。

そんなチームの低迷期とあり初年度のランキングは16位に沈むこととなりますが、デビュー戦での6位入賞を含む4度の入賞でエースだったワトソンを圧倒し、瞬く間に頭角を現します。
一方で脆弱なチーム体制はマシンの信頼性にも影響し、この年はクラッシュが原因で3度の欠場という憂き目にも合いました。後のイメージとは裏腹に、ハードなルーキーイヤーでしたね。

翌年からデニス率いるプロジェクト4と合併し、マシン名も「MP4」シリーズに移行することになったマクラーレン。
この「M29」は最後のMシリーズの一台となりましたが、最高位4位と表彰台に届かずブルースからの創業期に最後を告げる地味な一台となってしまいました。

プロストは翌年以降もチームと契約を結んでいましたが、ルノーワークスからのオファーを受けて移籍を決断。2年目にして同郷ワークスのエースドライバーへと出世します。
蹴られた側のマクラーレンでしたが契約元が創業体制側だったのか、デニス新体制とは裁判沙汰にならずに離脱し、ここで揉めなかったおかげか後年強くなったチームへの出戻りが許されました。
どんなドライバーにも言えることですが、大成する人はデビューチームの巡りが良いですね。
時の英雄ジル・ヴィルヌーブのキャリアを間近で見ることになったプロスト。彼のスタイルが「プロフェッサー」と評されるまでには、この時代の多くの悲劇がありました。











































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