マクラーレン MP4/7 A.セナ

オリジナルモデルマクラーレン1992

足元にも及ばず

【アルタヤ マクラーレンMP4/7 A.セナ 1992】

1990-91年に連覇を達成し、3度のワールドチャンピオンとなったセナ。そして迎える1992年はウイリアムズのアクティブサスペンションによってゲームチェンジが起こり、全く戦いに関与できない1年となりました。

コンピュータ制御のアクティブサスペンションを搭載したウイリアムズFW14Bがシーズンを支配したこの年。マクラーレンはシーズン序盤を旧車で乗り切る予定でしたがこれを大きく前倒しして、Tカーを含めた新旧6台ものマシンをサーキットに持ち込んだ大攻勢で挑んだと言われますが、それでも大勢を変えるには至りませんでした。

かの有名なモナコGPの優勝でウイリアムズの開幕6連勝を阻止しますが、その後も彼らのトラブル以外では勝利に届かず、さらには得意の予選でも足元に及ばず、わずか3勝1ポールという物足りない成績でシーズンを終えます。ライバルのプロストが一時引退したものの後方からはベネトンのシューマッハが頭角を現し、さらには彼にランキング3位を奪われるなど世代交代がちらつく一年だったのではないでしょうか。

この年限りでF1撤退を決めたホンダ。セナはその3度のタイトル全てがホンダエンジンによるものということもあり、日本のF1番組では彼がホンダについて語る映像はよく流れますね。しかしマクラーレン側としてはエンジンパワーにあぐらをかいて空力開発の遅れに目を瞑った結果、この後しばらくの低迷期に陥ることになります。その経緯を思うと、第四期マクラーレン・ホンダでサイズゼロを筆頭にマシン設計を優先して強権的に口出ししたと言われる彼らの姿勢も少し納得できるかも。

F1というスポーツが急速に変化していく様をウイリアムズの後ろで痛感させられることになったセナ。そのウイリアムズへの移籍はプロストの復帰によって叶わず、マクラーレンの将来に希望も見えず、行き場のない戦いを強いられることになりました。マンセルのトラブルでチャンスが降ってきたモナコGPを制したことで翌年までの5連覇に繋がる記録が残ったものの、この年の目立った記録としてはそれくらいです。そのモナコGPが名場面として語られるのですごいシーズンだと思われがちですが(実際自分もそう思っていましたが)、セナのキャリアとしてはこれほど苦しいシーズンはなかったのではないかなと感じます。

圧勝で念願の初タイトルを獲得したこの年のマンセル。この時期のウイリアムズのドライバー選出に関するエピソードは面白いものが多く、誰もが羨むウイリアムズのマシンをぶら下げてセナ・プロスト・マンセルら何人ものチャンピオン達を手玉に取って交渉したというのだからすごいですよね。

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