最後の優勝
【アルタヤ マクラーレンMP4/8 A.セナ 1993】
セナにとって最後の勝利を記録することになった1993年シーズン。印象的な5勝を挙げ、ランキング2位に返り咲きました。
開幕戦でウイリアムズ勢との差を痛感し、休養も検討する中デニスの説得で一戦毎の契約による参戦となったこの年。第2戦ブラジルGPでは雨がらみのレースで母国2勝目を挙げ、続く雨のドニントンでのヨーロッパGPでは伝説的なオープニングラップでの追い上げでシーズン2勝目を挙げました。この時点でポイントリーダーに復帰し、さらにモナコGP5連覇を達成するなど前半戦は天候と運に恵まれて成績を残していきます。
しかしその後は8戦連続表彰台獲得なしというキャリアワースト記録となる低迷に見舞われタイトル争いから脱落してしまいました。プロストの戴冠を見届けたのち、引退を表明した彼と最後の直接対決となった2連戦はどちらもセナの勝利となり、1993年はセナ・プロスト時代に一区切りをつける幕切れとなりました。
ホンダエンジンを失い、フォードのカスタマー仕様で戦うことになったこの年のマクラーレン。そのフォードエンジンはシューマッハを擁して王座に挑むベネトンが既にワークス仕様を抑えており、セナ・マクラーレン共に他に行き場のない状態となっていたことが伺えます。シーズン毎に観ていれば「今年もセナは活躍してまだ力を証明した、まだ戦える」と応援できるところなのでしょうが、後年こうして史実を順に追いかけていくと追い詰められていく様がありありと見えて苦しいですね。
シーズン5勝を挙げてランキング2位に復帰し、プロストが引退して後任にウイリアムズ移籍を決めたことで、当時はF1が再び彼のものになると多くの人が予想したのではないかなと思います。セナのマクラーレン時代、それもタイトルを獲得していないマシンだけを取り上げると、政治的に、あるいは突如現れたハイテクデバイスによって敗れたシーズンばかりであり、その中でも光る勝利が毎年あることがすごいですよね。
この年最後となる4度目のタイトルと共に引退を決めたプロスト。1989年には極限まで悪化した二人の関係ですが、終盤の表彰台の様子を見るとこの年はかなり雪解けしていることがわかりますよね。セナ財団の管財人をプロストが務めているのもドラマだなぁ。
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