マクラーレン MP4-22 L.ハミルトン

マクラーレン2007

驚異の新人デビュー

【ミニチャンプス マクラーレンMP4-22 L.ハミルトン 2007】

13歳でマクラーレンと育成契約を結んだ秘蔵っ子がベールを脱いだ2007年。ポストシューマッハ時代はアロンソ・ライコネンの二強になるかと思われましたが、風穴を開ける大活躍を見せました。

開幕戦から堂々の走りでデビュー戦3位表彰台を獲得すると、その後はルーキーとは思えない安定感を見せデビューから9戦連続で表彰台獲得という新記録を樹立したハミルトン。第5戦モナコGPでは首位先行するアロンソにアタックを仕掛け勝利を狙う貪欲さも見せました。

当時は足が不自由で車イスに座る弟が毎戦ピットに応援に駆け付けていたので、「弟の分まで頑張るまじめな優等生レーサー」というイメージが先行していましたよね。マクラーレンのブランド戦略の上手さに脱帽。

シーズン中盤には後の得意サーキットとなるカナダGPで初優勝を挙げ、さらにアロンソを破ってアメリカGPで連勝するとルーキーながらポイントリーダーとしてタイトル争いの主役に躍り出ました。

アロンソとライコネンが新人を追いかける展開になるとは全くのサプライズでしたが、そのアロンソとの関係が険悪化する中でチームがハミルトンの支援に力を入れたことで、終盤まで盤石の体制で史上初の「ルーキーチャンピオン」が現実的なものになりそうなレース運びを見せました。

デビューから半年たらずで名門マクラーレンを支配したハミルトン。ボーダフォンカラーはすっかり彼のキャリア初期のイメージとして定着しましたね。マシンは彼が初優勝したカナダGPからフロントウイングにノーズを跨るブリッジウイングが搭載されルックスが大きく悪化したのが残念です。

初優勝の「MP4-22」も翌年タイトルを獲得した「MP4-23」もこのブリッジウイング付きのせいでミニカーを集める食指が湧きませんでした。初期型の「MP4-22」は歴史に残る屈指のかっこよさだと思うんですけどねぇ。

優勝10ポイント獲得のポイントシステムだった当時、残り2戦で2位に12点差の大差をつけ絶対優位だったハミルトン。しかし戴冠もあり得た中国GPではタイヤを酷使するあまり消耗しすぎてピットレーン入り口でコースオフ、リタイアする致命傷を負いました。

それでもまだ優位だったのですが、最終戦はプレッシャーもあったのかコースオフや不運なマシントラブルによる失速で7位完走、ラスト2戦をわずか2ポイントで終えたことで1点差でライコネンに逆転タイトルを許してしまうのでした。

ハミルトンは翌08年に当時最年少で王者を獲得したものの、この1回のみでチームを離脱。今なら「結局タイトル1回ならアロンソに師事して二人でダブルタイトルを積み上げた方がよかったのでは」なんて最適解も見えてしまいます。

ただそう上手くハマらないのがこのスポーツの良さで、大金を費やしても最後は人の欲で瓦解するのだからこんな面白いドラマはないですよね。

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