沈黙、そして離脱
【ミニチャンプス マクラーレンMP4-27 L.ハミルトン アメリカGP 2012】
アメリカでのレースをめっぽう得意とするハミルトン。中断前のインディアナポリスの勝利に続き、復活したオースティンでも勝利を挙げました。
マクラーレン時代最後の優勝となった2012年のアメリカGP。ベッテルとの首位争いを制しての勝利でした。素晴しいオーバーテイクで首位を奪っての勝利でしたが、ポディウムでは大人しかったですよね。この時点ではもうチームの離脱を決めていたため、喜びを分かち合う気分でもなかったのでしょうか。
離脱について様々な理由が取り沙汰されましたが、ハミルトンにとって一番耐えられないのはマシントラブルなのではないかと思います。速くても壊れて自分の運転に根をあげるマシンよりは、遅くともレース中に全開で走れるマシンのほうが彼の精神衛生上よろしいのではないかと。首位独走中にマシントラブルが起きたシンガポールGPやアブダビGPのように、当時のマクラーレンはトラブルでリタイアが多い一方、スポンサー対応の厳しい縛りでのびのびとレースできる環境がありませんでしたよね。
ボーダフォンとの提携先なので、アメリカGPではサイドのロゴがベライゾンになっています。ミニチャンプスのF1レジンモデルの試作だったようなエヴォリュ-ションシリーズです。確か1万円くらいで通常モデルより数千円高い程度でしたよね。現行モデルの半分以上はレジンになりましたが、価格は一時ダイキャストの倍近くまで跳ね上がりました。なんで数が増えて値段は倍になっちゃうんでしょうねぇ……。
ちなみにこのミニカー、リアウイングとモノコックのアンテナ破損品をわずか1000円で購入できました。リアウイングは簡単に修理できたので、とてもお買い得でした。
ハミルトンのヘルメットもアメリカ国旗仕様に。2013年は確かマイケルジャクソンをデザインしていましたよね。芸能やエンタメ活動が好きなハミルトンにとってアメリカは天国なのでしょう。リバティメディアに移行してからのF1でハミルトンはアイコンとして精力的に広告活動をしています。
この年は頻発するトラブルでどんどん塞ぎ込むようになっていってしまったハミルトン。2011年は度重なるマッサとの接触にレース中や終わってからも声高に文句を言っていましたが、この年はトラブルが起きても諦めたかのように沈黙し、ラウダの説得もあって最後は育て親の元を去るという決断を下しました。
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