名門の船出

【スパーク マクラーレンM2B B.マクラーレン モナコGP 1966】
フェラーリに次ぐF1不動の名門として長い歴史を持つマクラーレンですが、チームとしての参戦は1966年の第2戦モナコGPから始まりました。

1959年、当時のF1で最速チームだったクーパーからデビューしたブルース・マクラーレンは、その年の最終戦アメリカGPで初優勝を果たしました。22歳104日での優勝という記録は2003年にアロンソが更新するまで43年間も維持された最年少優勝記録で、参戦当初から頭角を現します。

エースのブラバムが自身の名を冠したチームを設立して独立したのを期にクーパーのエースとなりますが、ミッドシップレイアウトの発明以降イノベーションに枯渇したチームは成績が低迷します。これによりマクラーレンもまたブラバムに倣って、クーパーを離脱し自身の名を冠したF1チーム「マクラーレン」を立ち上げる決意をします。

参戦初年度となった1966年はこの年から導入された3Lエンジン規定に苦しみ、わずか2度のポイント獲得に留まりました。翌年もリタイアが続きますが、1968年に歴史的名エンジン「コスワースDFV」を獲得すると自身の手でマクラーレンチームとしての初優勝を挙げています。

オーナードライバーとなったブルースはその後もコンスタントに表彰台を重ね、チームの成績も向上してきます。しかしその最中、1970年にブルースはスポーツカーテスト中の事故によって他界してしまうのでした。これで舵取りを失ったマクラーレンチームですがブルースと同郷で友人だった1967年のチャンピオン、デニス・ハルムがチームを牽引して引き継ぐと、1974年にはフィッティパルディによって初のドライバーズタイトルを獲得。今日に至る名門としての実績を積み上げていくことになります。
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