ウイリアムズ FW16 A.セナ

オリジナルモデルウイリアムズ1994

最後の一台

【ミニチャンプス ウイリアムズFW16 A.セナ 1994】

セナ生涯最後のマシンとなったこのウイリアムズFW16。アクティブサスペンションによる圧倒的な支配を目の当たりにしてウイリアムズに移籍しますが、この年からそれらハイテクデバイスが禁止される憂き目にあいます。

ハイテクデバイス禁止によって空力的に過敏なマシンとなってしまったニューエイ作のFW16ですが、そこはドライバーがセナとあって参戦した開幕3戦全てで連続ポールを獲得しました。しかし決勝レースを通して安定して戦うには至らず、開幕戦ブラジルGPでは母国レースを残り16周を残して痛恨のスピンリタイアを期してしまいます。

さらに第2戦パシフィックGPではスタート直後に追突されリタイアし、この間連勝を挙げたベネトンのシューマッハとの差が大きく拡大、世代交代が現実のものとなっていきました。そして第3戦サンマリノGP、悪夢の週末が始まります。この週末の緊迫した雰囲気、そしてセナの不安そうな表情はドキュメンタリー映画「アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ」に克明に記録されていますので、当時を知らない人もぜひ見てほしいです。私もセナ亡き後に知った身ですが、この映画のおかげでこの週末に対しての解像度がかなり上がりました。

セナの事故死に関わったマシンとして暗い歴史に名を残すことになったFW16。シューマッハとの首位攻防中、タンブレロコーナーでクラッシュした際に飛んだサスペンションの一部がヘルメットを貫通したことが死因と結論付けられていますが、一説にはそれ以外の身体への外傷は少なく飛んだ破片があと数センチずれていればレースに復帰できたとの声もあり、本当に不運な事故でした。セナしかりビアンキしかり、近年のドライバーの事故で致命傷となるのはやはり頭部なので、将来的にレッドブルX2010の様にフルカウルになっても受け入れるべきなのでしょうね。

日本でのF1継続開催が始まった1987年以降、レース中のドライバーの死者はラッツェンバーガー、セナそしてビアンキの3名のみです。3名とも経験した方、私の様にビアンキが唯一の方、そして新しいファンでそれら全てを知らない方とそれぞれいると思いますが、個人的にドライバーの死に対して思うことはそのアクシデント自体が悲しいことであるのに加え、それ以降の時が止まる辛さがあるなと思います。

F1を観始めた頃の私のヒーローたちは続々とレースを引退し、家族との生活や新たな目標に向かって活動する姿がたまにネットに流れてきて、ちょっと懐かしく、ちょっと寂しく感じる日々があります。しかし現役のまま亡くなったドライバー、ビアンキにはそれがなく、いつまでもそれまでの軌跡とその後のIFを想像することばかり。そしてそんな記憶すら時間と共にあいまいになっていってしまいます。

なんでセナはこんなに今でも特集が組まれるんだろう、と昔から疑問でしたが、偉大なドライバーだったからということ以上に、そんな忘れゆく当時の存在感を少しでも残したいというファンの熱意なのかなと思うと、「世代ではないから」と安易に疎外感を感じずに少し彼の特集に目を配ってみようと思うようになりました。

セナ初のタイトル獲得となった1988年のマシン。この時点ではワールドタイトルのひとつは約束されていた存在と語られるのだからすごいドライバーです。

プロストとの接触で手にした2度目のタイトル。クラッシュに対するコメントに困るセナの表情は、前年政治に敗れた自分がその政治的な、レーシング以外のものに手を染めてしまった葛藤のようなものを感じます。

3度目にして最後のタイトルとなった1991年。タイトル獲得数3回という数字自体に意味はないものの、多くのドライバーがセナと並び、そして超えたことを喜ぶ一つの基準となったタイトル数ですね。

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