政治に敗れる
【アルタヤ マクラーレンMP4/5 A.セナ 1989】
1989年のドライバーズランキング2位となったセナのマシン。勝利数では王者プロストを上回るものの無得点レースが多く、連覇は達成できませんでした。
前年1988年、マクラーレン移籍初年度にエースドライバーのプロストを破って初タイトルを獲得したセナですが、この年は勝利数でプロストを上回るも9度の無得点レースによってタイトルを獲得できませんでした。個人記録としては、当時の最多PP記録だったクラークの34回を更新する41回のポール獲得記録を達成しています。
かの有名な日本GPでのプロストとの接触事故では既にシケインを通過し、順路で戻るにはコース逆走の必要があったにも関わらずシケイン不通過を理由に失格が言い渡されます。当時のFIA会長でプロストと同郷のバレストル氏の判断だったためプロストびいきの悪評高い裁定ですが、この結果が覆っていたとしても翌最終戦でセナは周回遅れに追突してリタイアしてしまったことから逆転タイトルとはならなかったのでした。
マシンはタイトルを獲得したものの空力的な遅れが既に顕著で、なんとかエンジンパワーで補っていたもののドライバー達はシェイクダウンから既に不満を感じていたと言われます。マシンのローンチ時点ではセナが悪い感覚を確かめるためにプロストに意見をもとめたエピソードがあるなど、この1年でいかに急速に関係が悪化したかがわかりますね。
個人的にこの年一番驚いたことはチーム代表ロン・デニスの人情深さ。セナのドキュメンタリー映画ではデニスが日本GPの事故後にセナに寄り添い、懸命に事故の場面でセナに非が無い事をメディアに訴える彼の姿が映し出されています。完璧主義者・冷徹というイメージの強いデニスですが、この一連の出来事に対してのデニスのセナへのサポートはとても献身的で驚きました。
映画のナレーションを借りれば、最初のタイトルまではセナにとって約束されていたものだったのでしょう。そして晴れてF1王者になった彼に待ち受けていたのは、政治的な駆け引きという純粋なレーシングからは程遠いものなのでした。F1チャンピオンながらライセンス発行を遅らせられる侮辱を受けたセナ、マクラーレンを追われフェラーリに移籍することになったプロストと両者痛み分けの結果となったこの争い。王者同士のチームメイトが上手くいかないことは歴史の必然なのですね。
この年チャンピオンを獲得したプロストのマシン。当時の日本のF1報道は正義のセナに対して悪のプロストという感じだったと聞き、06年のシューマッハとアロンソみたいな感じなのかなと思うと少し親近感が湧きます。ネット全盛期でしょーもないネタまで拡散される現代ですが、かつてのF1地上波放送OPのような「これを見とけ!」と指示される感じが懐かしいですね。
セナが最初にタイトルを獲得した、伝説のマクラーレン・ホンダ最強の1988年シーズン。ホンダの記録はホンダが破ると言わんばかりに2023年に勝率を更新しました。かっこいいね。
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