1984年チャンピオン N.ラウダ

World Champion Collection マクラーレン 1984

0.5点差の決着

【ミニチャンプス マクラーレンMP4/2 N.ラウダ 1984】

ターボエンジン全盛期となった1984年はマクラーレンTAGポルシェが16戦12勝と圧勝。タイトルの行方は復帰したベテランのラウダと新進気鋭のプロストとのチームメイト対決になりました。

全16戦中11戦の有効ポイント制で争われた1984年シーズン。前年覇者ブラバムのピケやフェラーリ、ホンダとタッグを組んで2年目のウイリアムズが散発的に優勝を挙げたもののタイトル争いに絡むことはなく、シーズンはマクラーレン一強のまま進んでいきます。

ラウダ5勝に対してプロストは7勝を挙げますが、勝てないレースの大半でしぶとく2位につけたラウダが0.5ポイント差でプロストを制し、1977年以来となる3度目のチャンピオンを決めました。端数の原因となった雨のモナコGPでの赤旗中断ハーフポイントは先頭を走るプロストがしきりに危険を訴えた結果ではありますが、2位から猛追する新人のセナを恐れたとの説も根強く残ります。真相はわからないものの、後の対決を思えばデビュー間もないセナの存在によって既にプロストのタイトルが揺らいだことは事実なのかもしれません。

この年に登場し1986年まで3年間使用されたMP4/2シリーズはそのすべての年でドライバーズタイトルを獲得した歴史に残る名車となります。カーボンモノコックを採用して2代目となって熟成されたシャシーとこの年の燃料総量規制によって大きな恩恵をもたらしたTAGポルシェエンジンの燃費の良さは支配的なパッケージとなりました。

プロストとの激戦を制しながらも、次は君の年だとねぎらいの言葉を掛けたとされるラウダ。事実翌年の彼はトラブルによってほとんど完走できない状態が続きました。それでも最終優勝となったオランダGPではプロストを徹底して抑え込んでの優勝を果たし、この年をもって中断を挟みながらも1971年に始めたF1キャリアに終止符を打ちます。

引退後もフェラーリとジャガーのアドバイザーを務めるなどF1との関係を保ち、2012年には復帰したメルセデスに参画。チームの歴史の転換期となったハミルトンの勧誘に尽力し、チームの今日に至る最強体制の礎を築きました。

2019年のモナコGP直前に病によって亡くなりますが、以降もメルセデスは彼を偲んだ赤いエンブレムをマシンに掲載。そしてプロフェッサーと評されラウダの影響を強く受けたプロストは現在もアルピーヌF1の責任者として参戦を続けており、彼を失ってもなおグリッド上での彼の存在感が止むことはありません。

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