遺児の悲願達成
【ミニチャンプス ウイリアムズFW19 J.ヴィルヌーブ 1997】
前年デビューイヤーからタイトル争いに加わったヴィルヌーブが復活したフェラーリ・シューマッハとの争いを制し、父ジルの果たせなかった悲願のチャンピオンを獲得しました。
全17戦で争われた1997年シーズン。前年に引き続きウイリアムズが競争力を発揮しヴィルヌーブが7勝を挙げたものの、開発頭のニューエイの離脱によってアップデートが不発となります。この間シューマッハ体制2年目となったフェラーリが猛追を見せ、5勝を挙げてフェラーリとしては1990年以来となるタイトル争いを繰り広げました。
シューマッハの1点リードで迎えた最終戦ヨーロッパGP、タイトルを争う2人に加えウイリアムズのフレンツェンの3人が全くの同タイムで予選1位を獲得するなど、決着への盛り上がりはピークに達します。しかし決勝レースでは、首位を行くシューマッハをヴィルヌーブが追い抜こうとした際に接触。これによってシューマッハはリタイアしたもののヴィルヌーブは走行を続け3位完走し、逆転で王座を獲得しました。この接触は後にシューマッハの故意によるものと判断され、年間2位のポイントを獲得しながらランキングからは失格処分を受けています。
ヒルに代わって加わったフレンツェンの優勝や複数の表彰台によってこの年もダブルタイトルを獲得したウイリアムズ。しかし設計者ニューエイを失ったFW19は開発が進まずフェラーリに対して防戦となることが増え、翌年からはルノーがワークスエンジン提供から撤退するとシャシー、エンジンともに競争力を失い、長らくタイトル争いから離れることとなります。財政難で2020年限りでウイリアムズファミリーがチームを手放すまでの間、このマシンがウイリアムズにとって最後のタイトル獲得車となっています。
北米CARTの史上最年少チャンピオンという肩書をひっさげ96年にデビューしたヴィルヌーブ。その実力は噂にたがわず、デビュー2年目にして王座を獲得しました。かつて父、ジルがタイトルを渇望されながら事故死したヴィルヌーブ家にとっては、悲願達成の瞬間だったのではないでしょうか。
しかし早熟だったヴィルヌーブのキャリアは2年目のこの年をピークに降下の一途を辿り、翌年からウイリアムズが低迷すると99年には自身のために設立されたBARに移籍。しかしこのチームも再び低迷し、ルノーやザウバーへの流浪を経て、BMWの以降によってチャンピオンながら06年のシーズン中盤にあっけなく解雇されてしまいF1を離れます。
歯に衣着せぬ物言いでF1の話題を切ることで現在も度々ニュースになるヴィルヌーブですが、バンクーバーオリンピックでは開会式に登場するなど母国カナダでは英雄として敬意を集めます。
コメント