1958年チャンピオン M.ホーソン

World Champion Collectionフェラーリ1958

初の英国人王者、初の1勝チャンピオン

【アシェット フェラーリ246F1 M.ホーソン 1958】

ファンジオが引退し、世代交代の年となった1958年。これまでファンジオと争ってきたヴァンウォールのモスがタイトルの筆頭候補でしたが、いくつかのレースでファンジオと名勝負を繰り広げチャンピオンへの機会を伺っていたホーソンが勝負に名乗り出ます。

全11戦と初めて二桁開催となった1958年シーズンは、ファステストラップへのポイントを含む6戦の有効ポイントで争われました。またこの年からコンストラクターズタイトルも制定されました。シーズンはモスがシーズン最多勝となる4勝を挙げ、有効6戦の結果は4勝2位1回リタイア1回でした。

一方のホーソンは優勝が1回に終わったものの5戦で2位入賞を果たし、6戦の結果は1勝2位5回となります。この時点では同点で、勝利数で言えばモスが勝者なのですが、記録したファステストラップがモスの2回に対してホーソンは5回と多く、この差によってホーソンがタイトルを獲得しました。この結果は、モスが無冠の帝王と呼ばれる一因となっています。コンストラクターズはヴァンウォールが手にしたものの、またしてもドライバーズタイトルは彼の手に 渡りませんでした。

前年の不振を受け、小型化とパワー強化に成功した246F1。2,400cc のV6エンジン搭載に由来した名前で、同様のネーミングでは2006年の248F1 (2.4L V8)が存在していて紛らわしいですね。このマシンでフェラーリは1958-1959の2年間に2勝ずつを挙げますが、投入された2年後の1960年にはF1最後のフロントエンジン優勝車として記録されることになります。またこの優勝もモンツァのバンクを危険視した他チームが撤退しての結果で、わずか2年にして根本的に通用しないマシンとなってしまいました。

タイトルは獲得したものの、この年のフェラーリはドライバーを続々と失う悲劇を経験しました。アスカリの死後チームを支えたルイジ・ムッソは事故によって決勝レースでの初の死者となり、次期エースとして期待されファンジオとの美談が残るピーター・コリンズは優勝した次のレースで事故死しました。そして1952年からF1参戦してようやく巡ってきたチャンスをものにしたホーソン自身も、この年でレースから引退したものの翌年交通事故によって他界してしまいます。

ホーソンには初の英国人GPウィナーであり初の英国人チャンピオンという名誉があるのですが、そのタイトルには内容から真の勝者とは呼べないという疑問符や、1955年のルマン24hレースでは大事故の一因として名前が挙がってしまうなど、今日の名声はその記録に相応するものではないのかもしれません。しかしこうして疑問符があってもタイトル保持者として記録に残ることで、彼のキャリアの軌跡と悲劇にまみれたフェラーリがこの年に参戦した意義を残してくれます。

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