オーナーに勝ってしまった従業員

【スパーク ブラバムBT20 D.ハルム 1967】
前年にブラバムが自身のチームでタイトルを獲得し、この年も引き続き戦闘力を見せたブラバムチーム。しかしタイトルを獲得したのはセカンドドライバーとして雇ったハルムの方でした。

全11戦中、前半の5レースと後半の4レースの9戦有効ポイント制で争われた1967年シーズン。F1史上屈指の名エンジンとして15年以上に渡り活躍するコスワースDFVエンジンが登場し、これを搭載したロータスのクラークが最多勝となる4勝を挙げます。
一方のブラバムとハルムは2勝ずつを挙げ、コンスタントな表彰台獲得で3人によるタイトル争いとなりました。

この年はタイトルを争った3人に加えて、自身でチームを立ち上げたダン・ガーニーのイーグルや64年王者サーティスを擁したホンダ、ペドロ・ロドリゲスの初優勝となったクーパー最後の優勝など、6人のウィナーが出る混戦の年となります。

後半戦の表彰台連発がタイトルの決め手となるのですが、それは新車「BT24」での成績でした。しかしスパークからは初優勝を挙げたこの「BT20」が1967年のハルムのモデルとしてリリースされています。
デアゴF1シリーズでも当初ハルムの「BT24」がラインナップされていましたが延長の際に更新されたリストでは省かれてしまい、近年モデル化に恵まれない1台となっています。

ニュージーランド人のハルムは1965年まだ苦戦期のブラバムチームからデビューし、1967年のモナコGPで初優勝を挙げそのままタイトル争いに加わります。最多勝のクラークはリタイアも多く、有効9戦のうち8戦を表彰台で占めたハルムが最終的にチャンピオンとなりました。
しかしオーナーを破っての戴冠劇はチームとの不和を生み、王座を獲得しながらチームを追われ同郷マクラーレンへと移籍します。
マクラーレン移籍後はタイトル争いに加わることはほぼありませんでしたが、事故によって創立者ブルース・マクラーレンを失ってからのチームをチャンピオンドライバーとして牽引し、1974年のチーム初タイトルまで黎明期のマクラーレンを支えました。
コメント