1955年チャンピオン J.M.ファンジオ

World Champion Collection メルセデス 1955

今なお影響残る悪夢の年

【ブルム メルセデスベンツW196 J.M.ファンジオ 1955】

前年の時点でフェラーリはメルセデスに対抗できず、ファンジオの対抗馬となりうるのはマシン開発に成功したランチアのアスカリだけだろうと思われて始まったシーズン。しかしそのアスカリは開幕2戦をトラブルで落としてしまいます。

全7戦中5戦の有効ポイント制で争われた1955年シーズン、ファンジオも2戦目でリタイアしていたためアスカリにもこの時点ではまだ希望がありましたが、第2戦のレース後、モンツァサーキットでのテスト走行中の事故により他界してしまいます。これによってメルセデス一強のシーズンとなりました。

ライバル不在で勝利を挙げ続ける中、F1の合間に行われたルマン24hレースに参戦したメルセデスはモータースポーツ史上最悪と言われる事故の一因となってしまいます。レース中ピットレーンでメルセデスの一台が他のマシンと交錯して宙に浮き、高速のまま観客席に突っ込み炎上、ドライバーと観客に80名以上の死者が出る大惨事となってしまいました。事故直後にメルセデスはルマンからの撤退を決めますが、この事故の影響で4戦が中止されたもののシーズンは続いていたF1には参戦を継続。メルセデスは残るすべてのレースで勝利を挙げます。チームメイトのスターリング・モスも母国で初優勝を挙げるなど、悲劇が起きた一方でチームとしては盤石の体制で2連覇を達成しました。

こちらはオープンホイール仕様のW196です。GP毎、ドライバー毎に細かく仕様が分かれていたそうで、このあたりの哲学と盤石の準備態勢は現代のメルセデスF1にも見ることができ、彼らの企業文化を感じます。またミニカー事情としては、この55年仕様のW196も入手が少し難しいマシンです。W196は1954年仕様のものがほとんどで、1953年のアスカリほどではありませんが中古市場ではあまり出回ることのない1台です。

3度目のタイトルを獲得するも、悲劇の影響の方が大きかった1955年。アスカリの死はランチアチームの撤退を呼び、ルマンでの事故を受け隣国スイスでは現在に至るまで厳しいモータースポーツ制限が課せられています。そして当事者となったメルセデスはF1はもちろん全てのモータースポーツからの撤退を表明し、本格的なモータースポーツ復帰は1985年まで、F1へのワークス参戦は2010年まで半世紀以上実現しないこととなります。メルセデスはこの時点で既にF1で支配的な力を持っていたにも関わらず、大事故によってその記録を伸ばすことができませんでした。

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