完璧な復帰劇
【ミニチャンプス メルセデスベンツW196 J.M.ファンジオ 1954】
戦前の自動車レースの時点で既に名声を築いていたメルセデス。しかし戦争が敗戦という結果に終わったため、復興に時間が掛かり戦勝国よりも数年遅れてのF1参戦となりました。
全9戦のうち5戦の有効ポイントで争われた1954シーズン。前年の王者でタイトル防衛に挑むアスカリは移籍したランチアの準備が進まず前半戦を棒に振り、イタリアで勝利を挙げたいと懇願したフェラーリのためにモンツァではフェラーリドライバーとして参戦するなど、シーズンを通して一貫性をもった戦いができずタイトルを争うことはできませんでした。
一方のメルセデスも開幕から参戦する準備ができておらず、レースへの参加は4戦目のフランスGPからでした。これ以前の3戦ではインディを除く2戦で優勝し、王座へ準備万端だったファンジオは待ちわびたと言わんばかりにマセラティからシーズン中にメルセデスへ移籍、残る6戦で4勝を挙げタイトルを獲得します。
このモデルの正式名称はW196ストリームラインです。高速走行時の安定性を重視して作られた仕様のマシンです。F1の歴史において唯一のオープンホイールではないチャンピオンマシンとなっています。タイヤをボディで覆うことは1961年の規定まで許されたそうですが、公式レースの写真を見てもこうしたマシンは他に見ませんね。このストリームラインもデビュー戦こそポールトゥウィンでしたが、次ぐコーナーの多いイギリスGPでは視界の狭さが仇となりフェラーリに勝利を譲るなど最適解というわけではなかったようです。
欠点が見つかれば即対応するのがメルセデス、数戦後にはオープンホイールでサーキットでのコーナリングを重視したパッケージを用意し、見事3連続ポールトゥウィンを達成します。この対応力こそ現代のメルセデスF1にも通ずる強みですよね。不運でタイトルを逃し続けてきたファンジオにとっても念願の2度目の王座となり、この時点ではF1はメルセデス一強の様相を呈してきます。