1968年チャンピオン G.ヒル

World Champion Collection ロータス 1968

近代F1確立の年

【カルツォ ロータス49 G.ヒル 1968 モナコGP】

1968年シーズンは、前年投入されたDFVエンジンと無制限スポンサーシップの解禁、ウイングの発明という3つの変化によってこれまでのF1と大きく異なるものに変化しました。近代F1が確立した年とも言え、ここから国際展開を推し進め今日のF1に繋がっていきます。

全12戦中、前後半各5戦の有効ポイント制で争われた1968年シーズン。レプコが新型エンジン開発に失敗したことでブラバムは競争力を失い、ロータス一強の年としてシーズンが開幕します。しかしその開幕戦を1-2で制したロータスは第2戦を前にクラークが事故で他界し、絶対的なエースを失ってしまいます。

それでも残ったヒルが3勝を挙げてタイトル争いをリードしますが、対抗馬に名乗りを上げたのは新鋭マトラのジャッキー・スチュワートでした。DFVエンジンを獲得したマトラは3勝を挙げて世代交代を予感させます。一方マクラーレン勢もDFVエンジンを手にして両ドライバーが勝利を挙げており、優秀なシャシーを製造すればエンジンに悩むことなく優勝争いができる環境となりました。

エンジンに選択の余地はなく、シャシーに集中したマシン開発はこの年からウイングが登場します。このマシンはモナコGP仕様の小ぶりなものですが、シャシーの倍以上の高さに設置されたハイマウントウイングなど、黎明期らしく奇抜なアイデアが様々登場していきます。

またマシンも従来のナショナルカラーから、ロータスはタバコ銘柄ゴールドリーフのカラーに衣替えしました。以降、すべてのチャンピオンマシンはスポンサーカラーとともに記録されていきます。なお、クラークはカラー変更前のロータス49に乗っており、名実ともにノンスポンサー時代を象徴した最後のドライバーとなっています。

エースの喪失に沈むチームを救いタイトルをもたらしたヒルですが、翌年の1勝を最後に表彰台にすら登れない低迷期が続きます。それでもF1への参戦は続け、最後は自身のチームを設立して出走し、1958年のデビューから1975年まで176戦出走という最多記録を樹立しました。この出走記録は次々に更新されていますが、この時代の背景を考えれば偉大な記録です。またモナコGPでは3連勝を含む5勝を挙げセナの6勝に次ぐ優勝記録をマークしており、著名なモナコマイスターの一人でもあります。

しかしF1では華々しい記録を残しながらも1975年に飛行機事故によって他界しており、これによる補償金問題で家族は困窮することになってしまいました。それでも息子デイモンがレーサーとして奮起し、後に初の親子チャンピオンという記録が達成されます。

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