初の鈴鹿決着
【ミニチャンプス ウイリアムズFW11B N.ピケ 1987】
鈴鹿でのF1が初開催された1987年、シーズンを制したのはホンダエンジンを搭載したウイリアムズで、決着はその鈴鹿サーキットという後の日本での繁栄を示唆するかのような展開となりました。
全16戦中11戦の有効ポイント制で争われた1987年シーズン。前年を制したマクラーレンは新車の開発に失敗して後退するとシーズンはホンダエンジン一強状態となり、搭載したウイリアムズとロータスが11勝を挙げました。
ロータスのエースとしてセナがタイトル争いに食い下がったものの中盤以降は優勝を挙げることができず、王座はウイリアムズのチームメイト同士で争われることとなります。初開催となった終盤戦の鈴鹿では後がなかったマンセルですが予選中にクラッシュしこのケガで決勝を欠場。レースのスタート前にピケの三度目のタイトルが決定しました。
1983年からタッグを組んだウイリアムズ・ホンダは5年目にして待望のタイトルを獲得。マシンは前年型FW11の改良型であったものの、強力なエンジンパワーを武器に中盤は6連勝を記録。イギリスGPではホンダ勢1-2-3-4フィニッシュを記録するなど、パワーを原動力にシーズンを戦いました。
またウイリアムズはこの年に後の大きな武器となるアクティブサスペンションを試験的に搭載。トラブルが多発したため本格使用されることはなかったものの、数年後のターボエンジン禁止を見越して新たな武器の開発に余念がありませんでした。
この年1983年以来となる3度目のタイトルを獲得したピケですが、マンセル寄りになっていくチームとの対立によって離脱、ロータスやベネトンでキャリア末期を過ごし、1991年に78年のスポット参戦から始まったキャリアに幕を閉じます。
引退後はインディ500などにスポット参戦しますが目立った活躍はない一方で、自由奔放な私生活から恵まれた何人もの子どもたちがレース界で続々と台頭。次世代のピケたちがモータースポーツでの活躍を引き継いでいます。
コメント