1964年チャンピオン J.サーティス

World Champion Collectionフェラーリ1964

二輪と四輪、三つ巴

【レッドライン フェラーリ158F1 J.サーティス 1964】

二輪と四輪の両方でタイトルを獲得した唯一のドライバーとして名高いサーティスですが、F1でのチャンピオンは勢いに乗るヒル、クラークら英国勢との激しい三つ巴の戦いを制しての結果でした。

全10戦中6戦の有効ポイント制で争われた1964年シーズンは、前半の5戦でクラークが3勝を挙げて2連覇に向け独走状態で、開幕戦を制したヒルが追う展開でした。対してフェラーリ勢は後半3連勝を挙げ、一気に追い上げます。

圧倒的優位だったクラークはトラブル連発で後半戦無得点が続き、最終戦はヒル、サーティス、クラークの得点順で迎えます。2位以内で自力タイトルが確定したヒルはレース序盤にフェラーリのバンディーニと接触して後退、首位を走行し大逆転タイトルの希望があったクラークはラスト2周で再びのマシントラブルによって脱落、ファイナルラップでピットボードのサインが伝わり、バンディーニとのチームオーダーに成功したサーティスが1点差でタイトルを獲得しました。

この年ダブルタイトルを獲得した158F1は水色のホイールが目立ちます。また、生産したスポーツカーがGTカテゴリに認定されなかったことに抗議して、アメリカとメキシコの北米2戦ではホワイトにネイビーカラーの青いフェラーリがワークスとして出走しました。チームの歴史において、赤以外のカラーリングを纏った貴重なマシンであり、タイトルを獲得した赤色ではないフェラーリマシンとして唯一無二の存在となっています。

50年代に二輪のドライバーとして7度のタイトルを獲得し、60年からF1に参戦したサーティス。1963年の初優勝をきっかけに、この年F1でのタイトルを獲得します。フェラーリ離脱後はホンダに所属して、F1での人脈に欠ける第一期活動のアドバイザー兼ドライバーとしてチームをけん引しました。その後70年代にかけては時流に乗って自身の名を冠したチームを立ち上げ、1972年に引退します。

2009年には彼の息子がF2で、前を走る車から脱輪したタイヤがヘルメットに直撃し、亡くなる悲劇に見舞われます。マッサの事故後ということもありドライバーの頭部保護が見直されるきっかけの一つとなり、Halo採用時にはコメントを寄せていました。本人は2017年に病気で亡くなっていますが、こうした事故が今後防がれることを望みましょう。

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