レジェンドの台頭
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【ブルム ロータス25 J.クラーク 1963】
英国コンストラクターの躍進が止まらない1960年代のF1において、50年代後半に参戦したロータスがついにタイトルを掴みます。60年から参戦した英国人のクラークによる圧勝劇となり、2年連続でイギリス勢のダブルタイトルとなりました。
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全10戦中6戦の有効ポイント制で争われた1963年は、クラークが7PP・7勝という支配的な成績を収めます。残る3戦もBRMのヒルが2勝を挙げ、フェラーリは辛うじて1勝を挙げたのみとなりました。
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BRM同様モノコックシャシーの発明によって躍進したロータスは、高いコーナーリング速度とクラークのスムーズなドライビングが相まってポールトゥウィンを連発していきます。セナに並ぶ先行逃げ切り型の名手として名高い彼の名声は、この時期に確立していきました。
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今では当たり前の、バスタブ式にドライバーが寝そべる姿勢はこの時期にロータスによって生み出されます。同じアイデアでBRMに結果こそ先行されましたが、このタイトルを皮切りにロータスは様々な発明で一躍F1の名門チームへと数えられるようになりました。
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50年代のファンジオに続き、60年代のレジェンドドライバーとして名高いクラークの快進撃はここから始まります。前年1962年の初優勝から、事故死するまでに33PP・25勝という金字塔を打ち立て、これらは長らく最多記録として残り続けます。モスの後継者のイギリス人ドライバーとして、F1大英国時代の60年代をリードしていきます。
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