ロータス 98T A.セナ

オリジナルモデルロータス1986

四天王時代

【アルタヤ ロータス98T A.セナ 1986】

前年の活躍でチームのファーストドライバーに昇格したセナ。コンスタントな表彰台の獲得でついにタイトル争いに顔を出し、一時はポイントリーダーにもなりました。

セカンドドライバーの選定にまで意見を述べられるほどチームの絶対エースになったセナ。その期待に応え、16戦中8度の表彰台を獲得します。このうち2戦は自身初のドライコンディションでの優勝となりました。

また特筆すべきはポールポジションで、前年を上回る8回を記録し獲得率50%という驚異的な記録を残しています。

シーズン中盤の第7戦でポイントリーダーに浮上し、ついにタイトル争いに名乗り出たセナ。残念ながら複数のトラブルで残り2戦を残して脱落してしまいますが、彼が強力なマシンを手にすればタイトル争いの主役になることは明らかだったでしょう。

そんなこの年、1986年はかの有名なセナとプロスト・マンセル・ピケが並ぶ4ショットのF1 四天王の写真が撮られたことでも有名なシーズンですね。

1970年代初期から長らく続いたJPSロータスのカラーリングはこの年を持って最後となりました。以降キャメルのカラーリングに切り替わったチームは低迷し、ここから10年も経ずにチーム消滅となってしまいます。

消滅の要因は多々言及されセナとホンダエンジンを失ったことは低迷を加速させた一因と言えますが、個人的には創始者チャップマン氏が亡くなった時期の悪さが転換期だったかなと思います。

チャップマン氏が亡くなった80年代前半は参戦チーム数も多く有力なスポンサーが見つからず、一方でプライベーターとして競争力を維持するには難しい、そんな狭間の時代のオーナー交代になってしまったのかなと思いますね。

そんなチームの暗い将来は露知らず、セナはドライバーズランキング3位を獲得し将来の王者としての存在感を日に日に高めていきました。

当時はコンストラクターズ参戦を終了したルノーからワークス待遇でエンジンを供給されていたとのことですが、マクラーレンのTAGポルシェ、ウイリアムズのホンダとの差を強く感じたセナはホンダエンジンの獲得を希望したと言われます。

JPSロータスとしてチャンピオンを獲得した最初のマシン。ロータスはクラーク、リントとエースを相次ぎ失いましたが、そのリントの死後戴冠に一役買ったフィッティパルディが初の王座に輝きました。

F1史上最も美しい名車と言われるロータス「79」。速くて美しいマシンはいくつか浮かびますが、タイトルを取った美しいマシンは本当にこれくらいです。

コメント