1978年チャンピオン M.アンドレッティ

World Champion Collectionロータス1978

ブラックビューティー

【スパーク ロータス79 M.アンドレッティ 1978】

投入されて2年目を迎えたウイングカーは競争力が著しく向上し、この年の選手権はロータスの2人がリードします。しかしチームメイトバトルの決着はまたも悲しい結末を迎えるのでした。

全16戦中、前後半各7戦の有効ポイント制で争われた1978年シーズン。前年を制したラウダを失ったフェラーリはロイテマンが4勝を挙げ面目を保つもタイトル争いには絡めませんでした。選手権は6勝を挙げたアンドレッティと2勝のピーターソンによる、ロータス同士の争いとなります。

しかしタイトル争いも大詰めとなった終盤のイタリアGPで、スタート直後の大クラッシュにピーターソンが巻き込まれ負傷します。当初は骨折のみであったため、事故の怪我による欠場で王座争いが決着かと思われましたが、ピーターソンの容態が急変して死亡したことで、歴代の悲劇同様チームメイトとの死別による決着となってしまいました。

数多の答え無きF1歴代No.1〇〇という議論で唯一答えが統一されるのが、最も美しいマシンの議論でしょう。JPSカラーからブラックビューティーと称されたこのロータス79は洗練されたウイングカーであり、速さと美しさを兼ね備えた歴代でも稀代の1台です。前年登場した初号機の78は不安定な挙動が多かったものの、改良された79は圧倒的な速さを生みF1をウイングカー時代へと誘いました。

また1963年にクラークと共に初タイトルを獲得しこの時代を席捲してきたロータスにとって、これが最後のタイトル獲得マシンとなります。

インディ500やNASCARでの実績をひっさげ、アメリカからアンドレッティがF1にデビューしたのは1968年。実質のデビューレースとなったアメリカGPでは史上4人しかいないデビュー戦PPを獲得するなど華々しいデビューでしたが、71年の初優勝から苦節7年、この年にようやくタイトル争いのチャンスを得ました。

しかしこの年のタイトルを最後に、翌年以降1勝も挙げないまま1982年のスポット参戦を最後に引退。再び活動拠点をアメリカに戻し、CARTでの活躍や家族で運営するチームの経営に注力しました。

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