DRSを生んだ男
【ミニチャンプス ルノーR30 V.ペトロフ 2010】
初のロシア人ドライバーにして、近代ペイドラミサイルの元祖となったペトロフ。その活躍はシーズンに大きな影響を及ぼしました。
彼がデビューした2010年頃はプーチン大統領の肝いりでロシア開催が決定し、ペトロフは大量のロシアンスポンサーを抱えてシート獲得しました。結果を出してチームを引っ張るクビサ、財政面を助けるペトロフと見事な役割分担がなされていましたね。
この年の彼のイメージはとにかく自爆です。レース中盤の展開が落ち着いたところで、ミスからクラッシュしてSCを出動させレースを盛り上げてくれました。あまりの破壊ぶりに持ち込み額より修理費用の方が上回るのでは?と揶揄されたほどです。
さらに終盤からは他人を巻き込むことを覚え、日本GPではスタートから数メートルでヒュルケンベルグに接触する始末。「お金を入れる→走る→壊す」のサイクルを確立し、多少のことでは首にならないという21世紀ペイドライバーたちのルーツとも言える存在です。
そんなペトロフですが、最終戦アブダビGPではタイトルに向けて是が非でも抜きたいアロンソのプレッシャーに耐え、彼を抑えることに成功します。彼の成長は喜ばしいのですがアロンソファンには都合が悪いという、ずっと弱かった敵キャラが最後大活躍するも主人公には都合が悪いという漫画のような展開を生みました。まぁペトロフも好きなので、これはこれでいいんですけどね。
彼の活躍もあり、並大抵のことでは追い抜き出来ないことがFIAに問題視され、DRSの導入の一因ともなりました。一方で彼もこの経験から成長し、2011年前半は表彰台を含めた活躍を見せます。
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