跳馬のシンデレラボーイ
【マテル フェラーリ248F1 M.シューマッハ 2006】
2002年にザウバーからデビューしたものの、成績不良でわずか1年でシートを失ったマッサ。しかしマネージャーのニコラス・トッドの力があってかフェラーリでのテストドライバーとして浪人し、再びザウバーから復活するとこの年には表彰台すらない若手ながらフェラーリのシートを射止めました。
開幕戦の予選でシューマッハに並ぶ2位を獲得し、フェラーリ復活のフロントロー独占の立役者となったマッサ。しかしレースではアロンソをブロックしようとしてスピンするなど、トップチームでの戦いについていけるのか疑問符の残るものでした。シーズン序盤はシューマッハを以てしても苦戦する状況で、マッサは何とか入賞して数ポイントを持ち帰るという戦いが続きます。
第5戦で自身初の表彰台を獲得しますが、前半戦はルノーはもちろんマクラーレンのライコネンにも及ばないフェラーリドライバーとしては物足りない成績でした。しかし後半からマシンが速さを取り戻すと、シューマッハとのダブル表彰台を連発。後に連勝を挙げるトルコGPでは自身初のポールから初優勝を達成しました。
正直にいえば親がチーム代表を務めるマネージャーと契約しているからフェラーリに乗れたドライバーだったと思いますが、この年にタッグを組んだシューマッハを師と仰ぎ、学習していく姿は謙虚で良かったですよね。さながらコネ入社のような状態でしたが、チームやシューマッハとの関係は良好で彼の事故の後も面会を許される数少ない人物の一人とも言われます。この年を知っていると晩年ウイリアムズを牽引する姿がとても感動的に見えるんですよねー。
シーズンの最終盤、シューマッハがエンジントラブルで後方に沈む中でトップ争いを繰り広げ、フェラーリの一員としての役目を果たしたマッサ。最終戦の母国ブラジルGPではセナ以来の優勝を果たす快挙も達成し、ランキングも3位を獲得と上々の1年目を終えます。
跳馬のシンデレラボーイとは当時のフジテレビの彼のキャッチコピーですが、おそらく幸運にもフェラーリのシートを掴んだことを指した言葉だったものの、最大の幸運はシューマッハと最後にコンビを組めたことだったのではないでしょうか。でも、マッサが最後じゃなかったねと言われるような、またミハエルにレース指導を受けるドライバーが再び現れるようなことになってほしいですけどね。
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