最後の圧勝劇
【スパーク ロータス33 J.クラーク 1965】
1963年に続き2度目のチャンピオンを獲得したクラーク。この年は有効ポイント制でフルマークの6勝を挙げた他、モナコGPを欠場して参戦したインディ500も制覇してF1とインディ500の両方で最高の結果を収めました。
全10戦中6戦の有効ポイントで争われた1965年シーズンは、1月1日に南アフリカで行われた開幕戦をクラークが制すと、インディ500参戦のため欠場したモナコGPを除いて6連勝を達成。シーズンを残り3ヶ月3戦を残して早々にタイトルを決めてしまいました。
1961年から始まった1.5Lエンジン規定の最終年となったため、多くのチームが開発を終了し1966年に備える移行期のシーズンでもありました。タイトルを決めたロータスも焦点を翌年に切り替えたため、終盤の3戦ではBRMが2勝を挙げ最終戦では第一期ホンダが初優勝を達成しています。
大成功を収めたロータス25の後継機として開発された33はこの年のタイトルをもたらしますが、翌年にエンジン規定が変更されてからは相次ぐトラブルに見舞われ、クラークのリタイアの数も増えていきます。この年以降33の勝利はなく、後続の43も翌年に1勝を挙げたのみとなり、クラークを数年タイトル争いから遠ざけることとなりました。
以後1966、1967年と2年連続してタイトルを逃したクラークですが、名車ロータス49が登場してからは勝利を重ねており、開幕戦を勝利した1968年はチャンピオンの筆頭候補だったと言われます。しかし、第2戦までの間に参戦したF2レースの事故によって他界し、3度目の戴冠は幻となりました。
クラークはセナ以前のレジェンドドライバーとして、ポールポジション、勝利数など当時の最多記録の確立者でありました。マシンをスムースに走らせる天才と称され、今でもトップドライバー議論に名を連ねます。特にレースへの情熱は目を見張るもので、F1以外にも数多くのレースシリーズに参戦して勝利を挙げています。
また彼の活躍は、アマゾンプライムのグランドツアーという番組で特集されています。シーズン3のEP5です。当時の映像が多く、彼のレーサーとしての才能を知ることができます。視聴できる方はぜひご覧ください。おすすめです。
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