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1957年チャンピオン J.M.ファンジオ

World Champion Collection マセラティ 1957

ファンジオ最後のタイトル

【ブルム マセラティ250F J.M.ファンジオ 1957】

フェラーリを離脱し古巣マセラティへと移籍したファンジオ。この年はイギリスの新興プライベーター、ヴァンウォールのスターリング・モスとの一騎打ちになりました。

全8戦中5戦の有効ポイント制で争われた1957年シーズン。主要なドライバーがインディ500に欠場したため、実質7戦での争いとなりました。前年を制したフェラーリはマシン開発に失敗し、ファンジオとモスが7戦の勝利を分け合います。

この年はイギリスGPで母国ドライバーのモスが、英国車として初となるGP優勝を挙げるなど、F1創設時から参戦しながらもイタリア・ドイツ勢の陰に隠れていたイギリス勢が花開いた年でもあります。しかしシーズンはファンジオ4勝に対してモス3勝と拮抗したものの、リタイア以外は全て表彰台というファンジオの安定感の前にモスは破れてしまいました。

この時代もまだエンジンパワーの優劣がものをいう時代で、マセラティ250Fはこの点においてヴァンウォールに対して優位でした。しかし、後のロータス設立者コリン・チャップマンをデザイナーに要したヴァンウォールを筆頭に、英国勢は空力面を重視した開発方針を取っていき、これが今日に至るまでのF1の方向性を決定づけるものとなります。すでにリアエンジン搭載車がこの年に初優勝を挙げるなど、時代の変化の足音はすぐそこまで迫ってきていたのでした。

なお、この1957年のマセラティはシリーズの中で2番目に入手が難しいマシンです。高価なトランスポーターとの3台セットがたまに中古市場に出るくらいで、単体での入手は滅多にできません。デアゴで再販されたので今では入手がかなり楽になりましたが、このミニカーを探してから手に入れるまで2年間もかかりました。

4年連続5度目のタイトルを獲得したファンジオ。この時にはなんと46歳でした。翌年は2戦のみ参戦するものの、実質的にこのタイトルをもってレースキャリアを終了します。自身のベストレースとして語られるこの年のドイツGPでは、ニュルブルクリンクで先頭との1分近い差をポールタイム以上のペースで猛追、逆転勝利を挙げるなど最後の年を迎えても能力は衰えていないことを示しての勇退でした。

5度のタイトルと24回の勝利を記録したファンジオは今なおF1で語られるレジェンドドライバーです。特にそのタイトル記録は2003年にシューマッハが破るまで50年近く最多記録でした。そして今もハミルトンに次ぐ歴代3位の記録です。特に注釈すべきは、チームを渡り歩いてのタイトルだったことでしょう。長期政権を築いて連覇したシューマッハ・ハミルトンと異なり、ファンジオはその年の最速マシンを求めて移籍し、チームもまたタイトルのためにファンジオを求める環境がありました。腕はもちろん、このF1で熾烈に争うチームを惹きつけるだけの人柄があってのことなのでしょうね。記録は更新されていきますが、彼の5度のタイトルの特色は決して上書きされていくものではありません。

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