最後の意地

【ミニチャンプス ブラウンGP BGP001 R.バリチェロ 2009】
バトンと共に最速マシンを手にして挑んだ2009年シーズン。序盤はそのバトンに大敗しチャンピオンへの道が早々に絶たれましたが、中盤苦しむチームを救う優勝を挙げました。

ホンダとの契約が満了し、引退の可能性が濃厚だった2009年のバリチェロ。しかしホンダの撤退とブラウンGP立ち上げの混乱の最中にドライバーを変える余裕はなかったのか、代表ロス・ブラウンの指名で継続してシートを維持することに成功しました。バトン同様、キャリアで最も幸運な残留だったことでしょう。

開幕戦はバトンに次いで2位となり、チームのデビュー戦1-2フィニッシュに貢献したバリチェロ。しかしこれはベッテルとクビサの接触によるもので、序盤に連勝するバトンに対して表彰台を取りこぼすことが多かった印象ですね。しかし中盤、レッドブルの躍進やフェラーリ・マクラーレンが復調してチームが苦しむ中、ヨーロッパGPとイタリアGPで値千金の2勝を挙げタイトル争いに大きく貢献しました。

秘密兵器「ダブルディフューザー」や禁止されたはずのバージボードなど、グレーゾーンの開発も多いこの「BGP001」。チームは資金不足で後半戦の開発がほぼない「援軍亡き籠城戦」のような戦いぶりだったので、大ベテランのバリチェロがいたことは大いに役立ったことでしょう。ロス・ブラウンはチーム存続の苦境ながらもセッティングに役立ちチームオーダーにも従う優秀な駒をちゃんと持っていましたね。

序盤のバトンの勢いに敵わずチャンピオンには縁が無かったバリチェロ。しかしこの年2勝を挙げてダブルタイトルに貢献したことが評価され、ロズベルグが抜けたウイリアムズから舵取りとしてのオファーを受けF1残留に成功しました。彼にとってもブラウンGPの誕生とその躍進はシンデレラストーリーとなりましたね。
移籍した2010年は「さすがトップチーム経験者だ」と開発力をべた褒めされたバリチェロ。しかし2年後には新人のためテストドライバーを強いられます。エースになれたのは1年限りと、魔法が解けるのは早い……。
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