黄金期の終焉
【ミニチャンプス ルノーR25 F.アロンソ 2005】
タイヤ交換禁止という大規模なルール変更によって、フェラーリの専用設計とまで言われたブリヂストンタイヤのアドバンテージを失ったフェラーリ・シューマッハの連覇はついに終結。新世代の王座争いはアロンソ・ライコネンという2001年の同期ドライバーの争いになりました。
全19戦で争われた2005年シーズン、上述のタイヤ交換禁止によってフェラーリが低迷するとレースはミシュラン勢の独壇場となり、トップユーザーだったルノーとマクラーレンが勝利を分け合います。同じくミシュランタイヤを履いたトヨタも著しい成長を見せるなど、まさにシーズンの必須デバイスとしてこの年のタイヤ戦争は一方的な決着を見せました。
タイトル争いの行方は共に新進気鋭の若いエース、アロンソとライコネンによって繰り広げられました。時折見せるマクラーレンMP4-20の驚異的な速さでレースペースに劣ることもあったルノーですが、信頼性を武器にコンスタントにポイントを獲得。アロンソの無得点は欠場したアメリカGPを除く2戦のみで、モナコGP以外はすべて表彰台を獲得する安定感を武器にタイトルを得ました。
一方的なタイヤの優位性を誇ったミシュラン勢ですが、アメリカGPインディアナポリスではバンクの圧力に耐えきれずタイヤが破損。シケイン設置などの折衷案もまとまらず、すべてのミシュラン勢がレースをボイコットしたかの悪名高いミシュランゲートを引き起こしました。以降F1はアメリカという巨大市場をしばらく失うことになっただけでなく、お膝元のヨーロッパではタバコ広告の全面禁止によって重要なスポンサーマネーすらも失うこととなります。
皇帝・ミハエルシューマッハを倒した男として、また1972年のフィッティパルディの記録を更新する最年少の世界王者として、一躍名を挙げたアロンソ。シーズンの大半でフェラーリとコース上での直接対決をすることがなかったものの、サンマリノGPでは優勝を掛けた緊迫の首位攻防を制し、日本GPでは難所・130Rでオーバーテイクを決めるなど、決してマシンの実力差だけでなくドライバーの力量でシューマッハを倒した印象を残しました。
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