ザウバー C31 小林可夢偉 SUZUKA LEGEND

ザウバー2012

だから私は日本GPに行けない

【スパーク 鈴鹿LEGEND ザウバーC31 小林可夢偉 日本GP 2012】

小林可夢偉がキャリア唯一の表彰台を獲得した2012年の日本GP。私にとっても唯一現地観戦したF1レースなのですが、これ以来何度日本GPに行こうと決意しても、それを決断することができません。

2012年の日本GPの空気はヒリヒリしていたと思います。私は初めての鈴鹿サーキットだったのでとても興奮していたのですが、それも金曜日まで。土曜日からは雰囲気が違ったというか、観客全員がこの日本GPの重要性を理解していたような、そんな感じでした。2004年の佐藤琢磨時代も表彰台の期待は高まっていたと思いますが、翌年もチャンスがあった琢磨選手に対して可夢偉選手にはもう後がないことは誰もがわかっていたし、残りのサーキットの相性を考えると鈴鹿こそがこのドライバーのキャリアで最後のチャンスになるという重みをみんな分かっていたと思います。

予選ではラウンド一つ一つが本当に緊張したし、予選4位(グリッド3位)を獲得した時は本当に一安心しました。決勝のスタートでは2位に浮上してグロージャンとのクラッシュを回避できたことは本っっっ当に安堵しましたし、最後のバトンを抑えた数周の緊張は今でも忘れられないですね。今でこそ涙腺が弱くなってきたおじさんですが、当時まだ20歳そこそこの大学生で泣くなんてことは滅多になかったのにチェッカーのあと自然と涙が浮かんできてちょっと恥ずかしかったことまで覚えています。

とにかく嬉しくて興奮しっぱなしだった2012年の日本GP現地初体験。「F1観戦ってすごいな!」と思いながら岐路についたのですが、彼がシートを失った2013年やケータハムで復帰した2014年は同じ熱量を持つことができず、そんな状態でお金も払えなかったので現地観戦を諦めました。結局私が心を打たれたのはこの年この「決戦」に挑んで結果を残したドライバーを見届けたことそのもので、現地でF1を観るだけならここまでにはならないのかなと思って現在まで日本GPに行くことができていません。そしてなにより、この年を唯一の経験という特別なものにしておきたいという気持ちがとっても強いんですよねぇ……。

いい思い出ばかりのこのマシンですが、ミニカーで唯一残念なのがこのピットボード。今でこそスパークは当たり前のようにしっかりしたピットボードを付属させていますがこの当時はそんな文化はなく、あまり出来のよろしくない(というかサイズ感が合っていない)ものが固定されて付属しています。うーん、これは本当に微妙だ。せめて脱着式であってほしかった……。

ガッツポーズを決める可夢偉選手のフィギュア。この造形はとても良いと思います。本当に苦しい苦しい1年でしたから、それを母国で成し遂げた感慨深さは表彰台での彼の姿に溢れていたかなと思います。日本GPで培ってきたヘアピンでの追い抜き、上位グリッドでのスタート経験のすべてが繋がった、小林可夢偉の鈴鹿での集大成のレースとなりました。

この2012年以降、「日本人が絶対に結果を残さなければいけない日本GP」というレースはまだないと思っています。現在は角田くんが頑張っていますけど、今はまだ鈴鹿で入賞してもしなくてもそれはキャリアの岐路になるようなものではないですよね。日本人が鈴鹿で絶対に勝たなきゃいけない日が来るまで私が日本GPに行くことはないのかもしれません。こうやって「老害」と呼ばれるようになっていくんだなぁという自覚は重々あるんですけど、大人になると学生時代の衝撃や思い出は越えられないものなんだなぁと気づいてしまいました……。

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