ザウバー C30 小林可夢偉 SUZUKA LEGEND

ザウバー2011

崖に泣く

【スパーク 鈴鹿LEGEND ザウバーC30 小林可夢偉 日本GP 2011】

2011年の母国・日本GPでは予選で大活躍を見せた小林可夢偉。当時のルールを武器に7位グリッドを獲得しますが、初年度のピレリタイヤの特性に泣き入賞は果たせませんでした。

2011年、予選ではモナコGPのトンネル以外はすべてDRS使用可能というトンデモルールを背景に、130RでDRS全開走行を披露した可夢偉選手。母国Q1でトップタイムを記録し、Q3まで進出します。さらに当時Q3用の追加タイヤが付与されず決勝に向けてアタックをしないライバルチームに対して「途中までアタックを試みた」ことで順位が優先され、7位グリッドという好位置のスタート順位を得ます。

残念ながら決勝ではスタートに失敗し、予選で前にでたロータス・フォースインディアらライバル勢に前を行かれたことで苦しい展開となってしまいました。それでも残り6周まで10位入賞圏内を走行していたのですが、この年導入されたピレリタイヤの極端な性能低下、いわゆる「崖」によって瞬く間に順位を落とし、13位完走と2年連続入賞は果たせませんでした。

決勝の結果に不満があったかといえばそうでもなく、当時はザウバーというチームが中盤戦以降完全にライバルチームに対して後れを取っていたことで入賞ができないこともやむなしといった感じでした。6戦連続入賞で始まった2011年シーズンからすれば鈴鹿での入賞くらいではもう満足できず、中堅チームの限界を感じていた思い出があります。そしてそんな最中、チームメイトのペレスが17位から8位入賞を果たしてピレリタイヤの申し子になりつつあるなんてことは微塵も思わず……。

DRSが導入された2011年以降数多のミニカーがリリースされていますが、DRSオープン時のモデルはこの2011年鈴鹿LEGENDくらいしか思い浮かびません。計器装置付きとかよりもはるかにレアですね。フリー走行P2では130Rで全開走行にトライしハーフスピン状態になるも見事に立て直し、その後予選ではしっかり決めてくるあたりがさすが小林可夢偉という感じでした。本当、2年目のドライバーとは思えない完成度だったなぁ……。

またこの年は東日本大震災を受けてF1からも多くの支援があった年で、ザウバーはカウルに大きくメッセージを掲載しました。F1ドライバーからのメッセージ動画を作成したりバーニーらF1運営側と共同会見を開いて日本GPの安全性を説くなど、中堅チームを率いるエースドライバーとしてレース以外でも大活躍。大口の日系サプライヤーであるブリヂストンが撤退した年だったので、この年は日本人ドライバーとして完全に孤軍奮闘だった小林可夢偉ですが彼の存在はモータースポーツ界からの支援を得るという観点で非常に重要だったなと思います。

2年連続入賞とはならなかったものの、この年もトロロッソとのバトルでは代名詞のヘアピンでオーバーテイクを見事に披露。傾斜のある鈴鹿サーキットのホームストレートで上位グリッドからのスタート経験は翌2012年に活きたとのコメントもあり、文字通り次につながる鈴鹿となりました。

当時も現在のように上位4チームで入賞圏内が埋まり、残りの数枠を中堅チームで奪い合う展開でしたがそれを可夢偉選手は当たり前のように成し遂げていたので、「入賞はしたけど上位が崩れないと上は見えないなぁ」という贅沢な悩みを抱えていた2011年前半。ザウバーに残留を発表した頃にはチームの停滞が顕著だったので、振り返ればこれから次のステップはどうなるんだろうという、現実的な課題が見えてきた年だったような気がします。

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