フェラーリ 156F1 W.トリップス

フェラーリ1961

ドイツ人勝者の血脈

【アシェット フェラーリ156F1 W.トリップス 1961】

1961年は1958年以降タイトル争いから遠ざかっていたフェラーリが大躍進を果たし、圧倒的な速さで表彰台を独占。チームメイト同士による激しいタイトル争いとなりましたが、母国モンツァで悲劇的な決着を迎えました。

ドイツの伯爵家生まれのウォルフガング・フォン・トリップス。裕福な資産を背景にレース活動を始めると1956年にルマン24時間レースでクラス優勝を果たし、実力が認められ同年最終戦のイタリアGPで6台目のフェラーリマシンでF1デビューを果たします。結果は未出走リタイアに終わりますが翌年もチームに残留、1957年には初の3位表彰台を獲得しました。

その後はフェラーリの低迷によって自身も結果が残せず1959年にはシートを喪失。しかし1960年に再びフェラーリに呼び戻されると入賞回数を増やしていきます。そして迎えた1961年、支配的な速さを持った名車156F1を武器に僚友フィル・ヒルと優勝争いを連発し、二人だけのタイトル争いを迎えます。この1961年のオランダGPでの初優勝によって、彼はF1初のドイツ人優勝者として歴史に名を残しました。

歴代マシンの中でも上位の美しさとされ、1950-60年代では間違いなくベストなルックスを誇るこの156F1。滑らかな流線形で本当に素晴らしい造形美の一台ですよね。1970年代にロータスがサイドポッドの概念を持ち込むまで、ウイングが生まれど「当時のレーシングカーのボディ」といえばこれ、と思い起こせるアイコニックなマシンだと思います。

バターナイフのような形状にアンマッチな「シャークノーズ」と呼ばれる先端の空洞部分。これだけ歪な設計なのに評価が高いのはやはり「速かったから」ということなんでしょうか。未だに1/18で新作モデル化されていますし、人気高いですよねこのマシン。

ラスト2戦で迎えたイタリアGP、ポールスタートながら出遅れたトリップスは2周目の最終コーナー・パラボリカで他車に接触し、スピン状態のまま観客席へクラッシュ。この事故により彼が亡くなったことで、フェラーリはモンツァでドライバーを失い、ダブルタイトルを得るという複雑な結末を迎えることとなりました。トリップスはF1史上7人目の事故死者にしておそらく映像記録に残る最初の死亡事故とあって、そういう話題ではたびたび資料として取り上げられていますね。

1961年を制したのはアメリカ人の同僚フィル・ヒル。最終戦がアメリカGPであったため母国凱旋の予定でしたが、トリップスの事故を受け出走を取りやめました。

彼の走りに魅了されてドライバーを目指したと語ったのは1970年王者、攻撃的で「タイガー」の愛称を持つヨッヘン・リント。トリップスの走りがどんなものだったか少しだけ想像できるかも。

トリップスは生前ドイツにカート場を設立しますが、そこでレーシングカートデビューを果たしたというのがこのミハエル・シューマッハ。ドイツ人初優勝者の手によってドイツ人初王者が生まれるという、嘘のような話ですよね……。

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