1970年チャンピオン J.リント

World Champion Collectionチームロータス1970

唯一の死後戴冠

【ミニチャンプス ロータス72 J.リント 1970】

前年覇者のマトラがエンジンに苦しみ、ロータスのエース、ヒルがプライベーターに移籍したことでチームリーダーになったリントが選手権を牽引。前半をリードし後半はフェラーリとしのぎを削りましたが、決着は悲惨な事故によって決まりました。

全13戦のうち、前半6戦と後半5戦の有効ポイント制で争われた1970年シーズン。サイドポッドを搭載した革新的なロータス72は圧倒的な競争力を持ち、チームリーダーに昇格したリントは開幕8戦で4連勝を含む5勝を挙げ選手権をリードしました。しかし後半からボクサーV12エンジンの開発に成功したフェラーリ・イクスが台頭し、リントと僅差でレースを戦い追い上げを見せます。

イクスの好調で選手権の行方が分からなくなった第10戦イタリアGPで、リントは予選でパラボリカ付近を走行中にブレーキの不具合からコースアウトしてクラッシュ。この事故が原因でタイトルの行方を見ないままリントは亡くなりました。イクスの追い上げ次第ではフェラーリにリードが移る状況でしたが、シートを引き継いだフィッティパルディが値千金の初優勝を挙げたことでロータスはリードを守り、リントは事故死しながらもタイトルを獲得しました。

ロータス72は現在のF1では当たり前となっているラジエーターのサイドポッドへの搭載を試み、マシン全体を楔形にした革新的なマシンでした。70年代の前半の大きなトレンドとなり、マシンは1972年にもタイトルを獲得したほか73年も競争力を発揮。70年代ロータスの黄金期を支えた一台です。

1964年にプライベーターからデビューしたリント。光る走りで複数の表彰台を獲得し早くから実力者として認識されますが、マシンに恵まれずリタイアが多かったことからタイトルを争うまでには時間を擁しました。

1969年に念願の初優勝を挙げると、翌1970年はついにトップチームのロータスのエースとして初めてタイトル争いに参加。堅実にリードを守っていましたが、悲しい事故によって最後まで戦い抜くことができないまま他界してしまいました。F1の歴史で唯一死後にチャンピオンを獲得したドライバーですが、彼が唯一であり続けることがF1にとっては何よりの進歩でしょう。

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