幻の凱旋レース
【アシェット フェラーリ156F1 P.ヒル 1961】
イギリス勢に遅れながらもリアエンジンのコンセプトに適合したフェラーリは1961年を支配し、1.5Lエンジン規定による初のタイトル争いはフィル・ヒルとウォンフガンフ・フォン・トリップスによるチームメイトバトルとなりました。
全8戦中5戦の有効ポイント制で争われた1961年シーズンは、最終戦のアメリカGPの追加によりインディ500が選手権が外れました。エンジンパワーで勝るフェラーリは、アメリカ人のヒルとドイツの伯爵家生まれのトリップスが勝利を重ねます。パワーに依存しないモナコとニュルブルクリンクでロータスのモスが2勝を挙げますが、フランスGPではフェラーリからデビューしたジャンカルロ・バゲッティが史上初にして唯一となるデビューウィンを飾るなど、フェラーリに乗らなければ勝てないレースが続いていきます。
好調のまま第7戦チームの母国イタリアGPを迎えた時点で、33ポイントのトリップスはヒルに対して5ポイントのリードがあり、ここで勝てばモンツァでの戴冠となりました。自身初のポールを獲得し準備は万全のトリップスでしたが、決勝ではスタートに出遅れ中団に沈み、2週目のパラボリカで他車と接触し観客席に突っ込むクラッシュを起こします。当時シートベルトの義務はなくドライバーはコースに投げ出されて死亡し、飛び出したマシンによって観客14名が巻き込まれる大事故となってしまいました。トリップスのリタイアによりこのレースを制したヒルが王者となりますが、彼の事故を知って涙したといわれます。
マシン156F1はその特徴的なノーズから定期的にモデル化される人気マシンです。シャークノーズと呼ばれる先端前後に穴の開いたノーズや、バターナイフのように先端から後方にかけて絞り込まれていくラインは独特ながらとても美しいですね。ずっと見ていても飽きない不思議な魅力があります。
3度の1-2フィニッシュでコンストラクターズも制し、最終戦アメリカGPに初のアメリカ人王者として凱旋するはずだったヒルですが、トリップスの事故を受けてフェラーリとヒルは出走を見合わせます。
スポーツカーで名を挙げてF1にたどり着いたヒルですが、F1での優勝はこの年の2勝と前年の初優勝の3勝のみでした。翌年の序盤戦は表彰台を獲得しますがマシンの競争力低下と共に結果が出なくなり、1964年をもってF1を引退します。
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