ミナルディ M197 片山右京

オリジナルモデルミナルディ1997

日本式ステップアップの限界

【オニキス ミナルディM197 片山右京 1997】

昨年レーシングオンより右京さん最後の空白となっていたミナルディ時代のマシンが新規モデル化され一躍話題となりました。これがスパークからリリースされるとは期待していなかったのでオニキス製の古いモデルをミニチャンプスケースに移植して満足していたのですが、役目を終えたので供養の掲載です。

個人的に片山右京さんはかなり好きな方で、最近はレース解説の機会が少なくなってしまいましたがたまに担当されると結構楽しみにしています。ドライバーの心情のみに焦点を当てた熱血解説はデータ・戦略全盛の現代に時代錯誤だと批判の声もありますが、20歳でシングルシーターデビューしたドライバーがその腕と時代の気流に乗ってF1までたどり着いた熱意を聞ける、その目線を知ることができるのはかなり貴重だと思うんですよね。

2014年から始めたこの新参ブログで右京さんのキャリアを語るのはおこがましいというものですが、やはり色々な話を見聞きしても95年のベネトン移籍が実現しなかったことは悔しいですね。でも、結局日本人はこれまで日本の支援を受けてでしかF1までたどり着けてないし、その支援を失う、あるいは契約を反故にして移籍できないという縛りが優勝できないことはフル参戦日本人3人目にして右京さんが示していると思う、学ぶべき重要なエピソードだと思うんですよねぇ。

オニキスというブランドのミニカー紹介はこのブログで初めてなので、その歴史に少し触れましょう。ポルトガルのブランドだったオニキスは1980年代後半からF1ミニカーのリリースを始め、近代F1モデルカー文化となる「豊富なチームを毎年リリースする」「統一パッケージでリリースする」という慣習を築いた、この文化の始祖とも言える存在です。複数チームが数年同じ金型で色が違うだけ、なんてこともあったようですがそれでも毎年新車がモデル化されるようになったのは偉大な貢献ですね。

初期は現在のブラーゴのドライバーレスモデルのようなパッケージでしたが、後期からはスクエア型にミラーの付いた写真のようなパッケージでコレクション性を高めました。同郷ビテス社の「カルツォ」ブランドとも提携し同パッケージでクラシックカーから最新マシンまで幅広くカバーしていたのですが、この時期には後続のミニチャンプスが参戦しその出来で大差を付けられたポルトガル勢は90年代半ばに倒産してしまいます。多くのマシンは近年スパークによってハイクオリティで再リリースされていますが一部のモデルは今だに再リリースがなく、このメーカーが最新モデルという不遇なマシンも何台かありますね。

2010年代以降はレッドブルを筆頭に下位カテゴリからF1まで道筋を作る育成プログラムが主流ですが、それ以前は転々としてその時点で最大のチャンスを掴むキャリアが多くありました。日本からトップチームまで確約された育成プログラムは存在しないですし、マシンで残せる結果の限界が決まるのでプロ野球のように「圧倒的成績を残したらメジャー移籍もOK」とはいきませんから、「F1まで道筋は付けるけどその先は実力で好きな道を選んでいいよ」という寛容な文化にならないでしょうかねぇ。最近のトヨタは風穴を開けつつあるように見えますが……。

角田くんにはホンダに縛られすぎず、その時一番勝てそうなチームに在籍してほしいなぁと思います。何億もかけて育てたのに!というのも非常によくわかるんだけど、どこかで手放さないと返ってくるリターンに限りがあるのは右京さんが30年も前に示しているんじゃないかなぁと思います。

チャンピオンマシンながらカルツォからのリリースを最後に新作が出ない不遇なマシンの代表例。ずーっとスパークからの案内を待っているのですが一向に対象になりませんね。近い年のモデルはリリースされているんだけど……。

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