初の親子チャンピオン

【ミニチャンプス ウイリアムズFW18 D.ヒル 1996】
シューマッハのフェラーリ移籍によってライバル不在となった1996年のウイリアムズ。この年デビューしたヴィルヌーブとのチームメイト同士による2世ドライバー対決となりました。

全16戦で争われた1996年シーズン。ヒルが開幕3連勝を含む8勝を挙げますが4勝を挙げたヴィルヌーブも食らいつき、タイトル争いの決着は最終戦までもつれ込むこととなりました。
最終戦の鈴鹿ではヴィルヌーブのリタイアによって決着がつきますが、この時ヒルはチームから解雇通告を受けており、祝福するには悲しい初戴冠となりました。

ウイリアムズ一強となったシーズンですが、シューマッハに続いてロス・ブラウンら主要スタッフもベネトンからの引き抜きに成功したフェラーリが復調の兆しを見せます。
これまで勝てない年も多かったフェラーリにとって望外の3勝を挙げ、後のウイリアムズとの対決を予感させました。

1992-93年を連覇した「FW14B」「FW15C」に次いで90年代のウイリアムズ黄金期を支えたニューエイ設計マシン「FW18」。
チームを16戦12勝という過去最多勝に導きますが、ヒルの放出を巡ってチームと対立したニューエイの継続雇用に失敗したウイリアムズは彼の置き土産となった翌年の「FW19」を最後にタイトルから離れることとなってしまいます。

1962、1968年チャンピオンのグラハム・ヒルの息子として、史上初めて親子2代でチャンピオン獲得に成功したデイモン・ヒル。王者の息子として生まれながら父親が事故死した航空機事故の補償金支払いのため困窮した生活が続き、アルバイトをしながらレースを続ける苦労人でした。
1991年にウイリアムズのテストドライバーデビュー、そして92年にブラバムからレースデビューを果たすと、セナ亡き後のウイリアムズのエースとしてチームを牽引しデビュー5年目でのタイトルを獲得します。
しかしその実績をチームに認められなかったのかタイトル争いの真っ最中に解雇通告を受け、翌年にはトップチームへの移籍すら叶わず弱小アロウズに移籍。チャンピオンとしては不遇の対応を受け、時折実力を見せた光るレースがあったものの、苦戦と失意の中で1999年に引退します。
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