なぜかRA300がラインナップ
【デアゴ ホンダRA300 J.サーティス 1967】
第1期ホンダの5作目となるマシン。1勝を挙げているものの日本人としては初優勝を挙げたRA272の方が記憶に残っているのですが、シリーズのラインナップに選ばれたのはRA300でした。
3勝を挙げた1期の中からサーティスのマシンが選ばれたのはやはりドライバーがチャンピオンだからでしょうか。資料も少ないので、1期ホンダといえば暗記した英文のようにRA272 R.ギンザー 1965年メキシコGP初優勝がすぐ浮かぶんですけどね。
このRA300は英ローラと共同開発されたシャシーです。当時から日本を拠点にF1を戦うことは大きなハンデであり、イギリスに前線基地を作ったものの日英の意思疎通がうまくいかず成績不振に…というどこかで聞いたような結末を第1期ホンダは迎えています。
サーティスのホンダへの貢献は大きく、このRA300の開発にあたって重要な手助けとなったローラとの橋渡しをしたといわれます。1964年にチャンピオンを獲得していたサーティスは当時のトップドライバーの一人であり、パドックでの人脈も豊富であったといわれます。
ネットもなかった時代に、欧米中心のF1界に遥々遠い日本からチャレンジして勝利したことは偉業だと思うのですが、そこに根付いて継続的な結果を出そうとするとどうしても現地拠点が必要になってしまいます。その欧州拠点と日本とのコミュニケーションは00年代のホンダ・トヨタが抱えた問題ですし、日本のコンストラクターが活躍できない大きな障壁なのでしょうね。ネット技術の進歩と昨今のコロナ禍でリモートワークが強く促進されていますから、これがスタンダードになると日本からの参戦のデメリットが幾分か減ることに繋がるかもしれませんけれど。
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