フェラーリ 312F1 C.エイモン

オリジナルモデルフェラーリ1967

最強の未勝利ドライバー

【アシェット フェラーリ312F1 C.エイモン 1967】

ブルース・マクラーレン、デニス・ハルムに並ぶ著名なニュージーランド人ドライバー、クリス・エイモン。長くフェラーリに重用されその速さを評価されますが、不運が重なり勝利を挙げることはできませんでした。

1963年からプライベーターで散発的にF1参戦を開始したエイモン、初期はリタイアが多く目立った結果が残せませんでした。

しかし1966年に同郷のマクラーレンと組んでルマン24時間レースを制すと、これが評価され若干23歳にしてフェラーリドライバーに抜擢されます。初年度は3位4回を含む大活躍でランキング4位を獲得し、エースの地位を確立しました。

予選では通算5回のポールを獲得しフロントローも多かったエイモン。後続にリードを築いて優勝目前というレースも何度かあったのですが、度重なるメカニカルトラブルが勝利のチャンスを奪っていきました。

マシントラブルに加えて飛び石によるラジエーターの破損、ヘルメットの破損などリタイア理由は枚挙にいとまがありません。そんな状況に嫌気がさしたのか、1969年にフェラーリ在籍わずか3年でチームを離脱しています。

以降マーチやマトラ、複数のプライベートチームや自身で立ち上げた「エイモン」から参戦をしますが目立った結果が残せないまま1976年に引退したエイモン。

しかしフェラーリ離脱後にチームが彼を見捨てたかといえばそうではなく、継続して関心を持っていたようで何度かフェラーリからスポット参戦のオファーがあったそうです。その当時の所属チームが彼を手放すことを嫌がったそうで復帰は実現しませんでしたが、エイモンは跳馬離脱後もチームから高い評価を得ていたことがわかります。

そのキャリアを終え、未勝利ドライバーの最多PP・最多リードラップ記録を樹立したエイモン。彼は69年にフェラーリを離れますが翌70年には後任イクスがランキング2位を獲得していただけに、このめぐり合わせの悪さも「最強の未勝利ドライバー」と呼ばれる所以なのかもしれません。

しかし本人は晩年インタビューで「決して不運ではない。今もこうして健在だから」と述べており、生きてマシンを降りることができたことに満足している様子が伝えられています。彼のフェラーリ初陣で僚友バンディーニが亡くなっているので、この言葉は重みがありますね。

彼とフェラーリのコネクションは根強く、エイモン引退後の1977年にエンツォが次のドライバー候補を彼に聞いた際に推薦されたのがヴィルヌーブだったのだとか。

優勝こそないものの、この時代の跳馬への貢献は多大ですね。

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