フェラーリ 152F1 L.バンディーニ メキシコGP

オリジナルモデルフェラーリ1964

わずか1勝だけれども

【デアゴ フェラーリ512F1 L.バンディーニ メキシコGP 1964】

ドライバーとしての彼を知らずとも、毎年発表されるロレンツォ・バンディーニ賞の報道でその名を耳にしたことがある人も多いはず。そして過去の有名な事故映像を見た人なら、間違いなく彼の映像も見たことがあるはずです。

1961年にF1デビューし、62年にプライベーターのフェラーリマシンからエントリーしてモナコGPで3位表彰台を獲得したバンディーニ。その功績からかわずか3年目にしてフェラーリドライバーに抜擢されます。

イタリア人ということもあり、当時のエースだったサーティスのセカンドドライバーという扱いながら母国での人気は絶大だったと言われます。

1964年にはタイトルを争うサーティスを援護する形で初優勝を挙げ、最終戦では図らずもライバルとの接触でタイトルをお膳立てすることになりました。

その後66年にサーティスがチームを離脱してからは名実ともにフェラーリのエースドライバーとなりますが、マシンに恵まれず表彰台は獲得するものの優勝はできません。結局、通算成績は1勝のみとなっています。

彼がエースの座を手にした時代、60年代後半のフェラーリは1974年のラウダ登場までタイトルから離れる暗黒期に突入しており、バンディーニは目立った結果を残せませんでした。

そして1967年のモナコGP、初戦を欠場したフェラーリにとってシーズン初戦でしたが、バンディーニはシケインでクラッシュしてマシンが炎上。この事故により彼は亡くなりました。この場面は鮮明に残る古い事故映像として有名ですが、空撮で記録したヘリが火災を悪化させた原因とも言われていて見るのが辛いシーンです。

彼の死によりフェラーリは母国イタリアから猛烈なバッシングを受け、以降エンツォがマシンにイタリア人を乗せなくなった一因とも言われています。

記録からは「1勝のみの暗黒期に在籍したドライバー」以上の感想は得にくいですが、1992年に彼の名を冠して設立された有望な若手ドライバーを称える賞の選考基準が「速さだけでなく個性や姿勢で強い印象を与えたこと」となっているのは、彼が結果に恵まれないながらも走りで人を惹きつけた魅力があったことを後世に伝えているような気がしますよね。

バンディーニは1964年サーティスのタイトル獲得に大きく貢献。しかし後のヴィルヌーブもそうですが、フェラーリの成績は水物なので貢献しても自分の番が来るとは限らないんですよね……。

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