リアエンジン時代の開幕
【スパーク クーパーT51 J.ブラバム 1959】
F1の勢力図が激変した1959年。前年覇者のホーソンは不在で、コンストラクターズを獲得したヴァンウォールが撤退したことで、モス、トニー・ブルックスの両ドライバーはそれぞれクーパーとフェラーリに移籍しドライバーのシャッフルが起こりました。
全9戦中5戦の有効ポイント制で争われた1959年シーズン。ドライバーのマシンシェアでポイントが得られなくなり、純粋に個人の成績でタイトルが争われるようになります。ヴァンウォールが撤退したことで唯一の勝利経験チームだったフェラーリの独壇場になるかと思われましたが、リアエンジンを採用したクーパーが5勝を挙げてシーズンを支配します。
時代遅れになりつつあったフロントエンジンのフェラーリを駆るブルックス、クーパーでリアエンジンの俊敏さを見せたモスが2勝ずつを挙げ、前年コンストを制した二人の争いになるかと思われましたが、デビュー5年目の伏兵ブラバムが開幕戦で初優勝を挙げると表彰台を連発し、有効5戦を勝利と表彰台だけで終えたことでタイトルを獲得しました。制定されて以降初となるコンストラクターズとのダブルタイトル獲得です。
英国のコンストラクター、クーパーはいわばフェラーリと同期で、1950年の第2戦モナコGPから参戦を続けていました。50年代を支配した資金力のあるイタリア勢とは異なり、クーパーはF3マシンの製造を請け負うなど小さな会社で鳴りを潜めていましたが、1954年に始めたリアエンジンスポーツカー製造の過程でこれに光明を見出したブラバムと出会い、メカニック知識にも詳しい彼との共同開発でT51は誕生します。
過去の流れを見れば伏兵の勝利とも言うべきブラバムのタイトルですが、リアエンジンのF1マシンは1957年から導入され彼の手によって熟成されており、これが優位性を持った時に彼が勝つのは自明の理なのでした。オーストラリア人として初の王者になったブラバムは、このまま60年代に快進撃を続けていきます。この年はイギリス勢が躍動した年で、BRMは初優勝をあげ、コンストラクターズでポイントを獲得できたのはフェラーリ以外はクーパー・BRM・ロータスの英国3チームのみでした。クーパーからは後の名門マクラーレンの創始者ブルース・マクラーレンも初優勝を挙げており、英国勢は親ともいえるヴァンウォールが撤退してからも続々と有力な新興チームが生まれていきました。F1は60年代にかけて、フェラーリvsイギリス勢の様相を呈していきます。
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