マクラーレン MP4-19B K.ライコネン

マクラーレン2004

スパの伝説始まる

【ミニチャンプス マクラーレンMP4-19B K.ライコネン 2004】

お蔵入りしたMP4-18を元に開発されたMP4-19で戦った2004年シーズン。深刻な低迷に陥り入賞もままならない事態が続きましたが、後半戦にBスペックを投入し著しく成績を向上させ、スパでの勝利をもぎ取りました。

開幕7戦を終えて入賞は8位一回のみと、深刻な不振に追われたこの年のマクラーレン。モノコックの不備に加えてこの年から定められた1レース1エンジンの規定にも対応できず、走っても遅い・完走もできないという負の連鎖が続くシーズン前半戦となりました。

散々な前半から一転、後半戦からはモノコックを改良したBスペックを投入すると、ポールや表彰台を獲得し勢いを取り戻します。後に自身の代名詞となるベルギーGP・スパフランコルシャンでは10番手グリッドからシーズン初にして唯一の優勝を挙げ、以降この年から3連覇を果たしてスパマイスターの名をほしいままにするようになりました。

この年代のF1でのトレンドといえばBスペックで、今と異なりシーズン中のシャシーの設計変更が何度でも認められていたため、資金が潤沢なチームはBスペック・Cスペックと1年を通してマシンを変更しながら戦うことは珍しくありませんでした。一方で当時最強だったフェラーリは前年型の改修型をBスペックと称して序盤数戦利用した程度で、いかに他チームの開発がまとまらず二転三転していたかを示す証票なのかもしれませんね。

この年限りでチームを離脱したクルサードは表彰台を一度も獲得できず、名実ともにマクラーレンのエースへとなったライコネン。アイスマンというクールな彼を称した愛称にぴったりな、ガラスのマクラーレンという速いが脆いマシンに悩まされる日々がこの年から始まります。00年代のマクラーレンはトップチームと言いつつも一度しかタイトルを獲得できておらず、このチームの混乱具合は彼の成績から推し量ることができますね。

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