フェラーリ 312T4 J.シェクター モナコGP

フェラーリ1979

最良のチームメイト

【イクソ フェラーリ312T4 J.シェクター モナコGP 1979】

この年自身初のチャンピオンに輝いたシェクター。72年のデビューから当時でいえばベテランとなる8年目での戴冠で、それを支えたジルとは公私ともに良好な関係を築きました。

72年にマクラーレンからデビューし、ティレル・ウルフを渡り歩いてこの年フェラーリ入りしたシェクター。いくつもの優勝を挙げながらタイトルに恵まれなかった彼にとって、最速のマシンと友好的なチームメイトを手にしたこの年念願のチャンピオンを獲得します。

シェクター曰くジルとは非常に良好な関係だったそうで、タイトルをチーム内で争いながらも緊張はなく、セッティング情報までオープンだったと言います。ジルにとっても、シェクターの引退後も友好関係が続く最良のチームメイトとなりました。

何度も1-2フィニッシュを決め、時にコースでジルと争ったシェクターをして、彼の攻撃性は常に計算されたものだったとのコメントを残しています。何度もスピンを期しながらその全てがクラッシュとならないのは、その危険性をコントロールできていたからとのこと。いずれタイトルを争うようになれば攻撃性はより制御されただろうと回顧しますが、彼にその時は訪れませんでした。

312T4は華々しい成績に反して見た目は醜いもので、アヒルに例えられたダックノーズに加え、モナコGPではリアウイングがタイヤの前に装着されるいびつな形状です。速いマシンは美しい、との格言もありますが、数少ない例外はこのマシンかもしれません。通常仕様は独特の機能美がありますけどね。

シェクターはこの年タイトルを獲得したものの翌年の大不振に耐え切れずに80年に引退。一時的にジルと疎遠になったものの、彼が82年に再びタイトルを争うようになると良き相談相手として関係を続けます。後にジルが事故死した直後は家族に付き添い、彼が適切にジルの遺産を管理したことで息子のジャックは生活に苦労なくレース活動を始めることができました。生前、そして死後に渡ってジルを支え、ヴィルヌーブ家に悲願のチャンピオンをもたらした功労者の一人です。

彼が共に戦ったジル・ヴィルヌーブの歴代マシン特集はこちら。このシェクターを含め、関係深いドライバーの紹介も含め、そのキャリアを追うことができるように記載しましたのでぜひご覧ください。

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