ロータスルノー R31 V.ペトロフ

ロータス2011

まさかのチームエースに

【ミニチャンプス ロータスルノーR31 V.ペトロフ 2011】

ペイドライバーとしてお財布としての役割でシートを維持したペトロフでしたが、エース・クビサの衝撃的な事故によって急遽チームを牽引する立場になりました。

オフシーズンにクビサがラリーの事故で負傷離脱を強いられたことで、チームは急遽代役にハイドフェルドを採用します。加えて前年から継続してドライブしていたペトロフは2年目ながらマシン開発のかじ取りとして重宝されることになりました。

ルノーが開発し、突如現れこの年限りで姿を消した独特な「前方排気システム」に優位性があったのか、この「R31」は序盤戦ではそこそこの競争力を示し開幕戦ではペトロフが自身唯一となる3位表彰台を獲得しています。

前年最終戦でアロンソを抑え切ったことで自信がついたのか、珍しくミスのない見事なレースでしたよね。

しかしそんな好調は続かず、ルノーワークスの財政支援もなくなったチームの成績は以降ずるずると右肩下がり転落。表彰台を獲得したとはいえやはり2年目のペトロフにマシン開発は荷が重すぎたのでしょうかね……。

彼はそのデビューイヤーがあまりに衝撃的すぎて、作るよりも「壊す」イメージが最後まで崩れませんでした。キャリア終盤はそんなに大きなミスなかったと思うんですが、印象は変わりませんね。

翌年は復帰したライコネンとグロージャンにシートを奪われ、ケータハムに移籍し1年限りの出走でF1を去ったペトロフ。3位1回と残した成績に対して記録したクラッシュがあまりにも多く「荒いペイドライバー」の印象が強い彼ですが、ロシア人F1ドライバーを誕生させた功績は大きいと思います。

以降数年間ロシア人の後輩には続々と有能なドライバーが現れ、何人かはF1まであと一歩のところまで迫りました。表彰台1回のドライバーですが、大国からの開拓者としては十分な成績だったのではないでしょうか。

余談ですが、2016年WEC富士を見に行ったときピットウォークでサインをいただきました。2台持っているサイン入りのうちの1台で、私にとって貴重なミニカーです。

大学でロシア語学んでいたこともあって、つい親近感を感じるドライバーなんですよね。

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