圧巻の復帰劇
【アシェット フェラーリ312T2 N.ラウダ 1977】
前年の大事故から本格復帰となったラウダの1977年シーズン。優勝はもちろん表彰台を連発し事故の影響を感じさせない安定感を発揮した一方で、フェラーリとの関係が悪化してチームを離脱することになります。
全17戦のうち、前半8戦と後半7戦の有効ポイント制で争われた1977年シーズン。フェラーリは改良した312T2を前年に引き続き使用しましたが圧倒する速さはなく、デビュー戦優勝を果たしたウルフのシェクターやウィングカーを初投入したロータスのアンドレッティとの戦いになります。
最多優勝こそアンドレッティの4勝に譲ったものの、ラウダはシェクターと並ぶ3勝を挙げたほか7度の表彰台を獲得。抜群の安定感を見せたことでラスト2戦を残し早々にタイトルを決めましたが、既にチームとの関係が冷え切っていたラウダは王座決定と同時にチームを離脱、最終戦に出走しませんでした。
1976年に引き続き継続仕様された312T2は速さこそ圧倒的ではなかったものの、トラブルの少なさでラウダに安定した成績をもたらし2度目のタイトルに貢献しました。しかしマシンのポテンシャルはウイングカー構造を採用したロータス78に叶わず、時代は一気に移り変わっていきます。
前年の大事故の後早期復帰を目指したラウダに対し、フェラーリはレース復帰を困難に見ていたことで将来の方向性に大きなズレが生じていたこのコンビネーション。しっかりとタイトルを獲得したもののシーズン中から既にラウダはチーム離脱を決めていたとされており、エンツォに白紙の手形を渡されてもなお残留を固辞したという逸話も残ります。
翌年はバーニー・エクレストン率いるブラバムに惹かれ、数名のエンジニアを引き連れて移籍しますがファンカーを奪われたことでチームは失速。競争力を失いモチベーションの下がったラウダは79年に引退し、82年に復帰するまで家業の航空事業を営みます。
コメント