デアゴF1 第15号 126C2 M.アンドレッティ

フェラーリ1982デアゴスティーニ F1マシンコレクション

悲劇の後

【デアゴ フェラーリ126C2 M.アンドレッティ 1982】

長年の苦労の末、ようやく競争力のあるマシンとして生み出されたこの126C2。タイトルを夢見て協力してきたジルとピローニが、皮肉にも速いマシンを手にしたことでいがみ合う関係になってしまい、内紛の果てに2人は事故で走ることができなくなってしまいました。

2人のエースドライバーを失ったフェラーリに代役として戻ってきたのがアンドレッティ。78年にロータスでタイトルを獲得後、81年にフル参戦を辞めており、この年はスポット参戦に留めていた彼に白羽の矢が立ちました。126C2はヴィルヌーヴやピローニのミニカーでよく見かけますが、アンドレッティのマシンは初めて見ました。

シーズンラスト2戦時点での移籍でしたが、デビュー戦のイタリアGPでは両ドライバーを失い不幸に沈むティフォシの前で3位表彰台を獲得しています。そしてこの活躍によってフェラーリはコンストラクターズタイトルを獲得することができました。ピンチヒッターとしてこの活躍はチャンピオンならではでしょう。この2戦を終えてからはアメリカでの活動に戻り、F1での活動には終止符を打っています。

F1最後のウィングカーとなった126C2。この車が起こした事故によって、翌年からフラットボトム規定が導入されることになりF1からウィングカーは姿を消すことになりました。高速化による多くの事故に加えて、やはり人気ドライバーのジルが事故死したとあって、安全のために規制を求める声は強かったのでしょう。現在では安全対策が強化され、再びレーシング界にグラウンドエフェクトが戻りつつあるようですね。インディではDW12から採用され、F1や下位フォーミュラの新規定でも度々話題に上がります。

1961年のフィル・ヒルと並び、F1に2人しかいないアメリカンチャンピオンのアンドレッティ。アメリカではインディーのタイトルを4回獲得した伝説的なドライバーです。また家族もレーシング界に参入しており、F1でも走った息子マイケルが運営する名門インディチームのアンドレッティ・オートスポーツは2017年、佐藤琢磨がインディ500を制したことで何度も名前を耳にしましたね。

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