英国の年

【スパーク BRM P57 G.ヒル 1962】
前年から導入された1.5Lエンジン規定に対応が遅れたイギリス勢ですが、この年は一転してシーズンの主役に躍り出ます。前年王者フェラーリは1勝も挙げることができず、BRMとロータスが勝利を分け合います。

全9戦中5戦の有効ポイント制で争われた1962年シーズンは、BRMのエース、グラハム・ヒルが4勝を挙げてシーズンを制します。
開幕戦で初優勝をすると、後半戦は4戦3勝という強さを見せました。対抗馬はこの年初優勝を挙げたロータスのジム・クラーク、クーパーのブルース・マクラーレンらでしたが、いずれもヒルの勝利数には及びませんでした。

新興英国勢が躍進し後の名門ブラバムチームが参戦を開始した一方、最後の50年代の名手スターリング・モスが引退を発表します。シーズン前のスポーツカーレースの事故による後遺症が決め手となり、この年は参戦することなくF1を去りました。
イギリスはトップドライバーを失いますが、後に参戦する数々の英国コンストラクターや開花しつつあったジム・クラークらの活躍によってF1での英国勢の地位は確固たるものになっていきます。

この「P57」はロータス25同様モノコックシャシーを適用したマシンとして、突如チームに競争力をもたらしました。ブリティッシュグリーンの生える美しいマシンですね。
スパークではかなり初期に作られたモデルのようで入手が非常に困難です。中古価格も2万弱ほどするのですが、そもそもなかなかお目にかかれない1台です。全チャンピオンマシンの中では2-3番目くらいにレアモデルではないかと思います。

ダブルタイトルでシーズンを制したBRMは1956年の参戦開始から最も良い成績を収め、1977年の撤退までこの年の4勝がチームの最高成績となりました。このマシン投入前後の戦績を見ると、「P57」がいかに優れた名車であるかが伺えます。
50年代後半から参戦してきたヒルは、初優勝の勢いそのまま初のタイトルを獲得しました。その後翌年から3年間ドライバーズ2位という辛酸を舐め、「P57」の競争力低下とともにチームを離れロータスへ移籍します。
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