1960年チャンピオン J.ブラバム

World Champion Collectionクーパー1960

実力を証明する5連勝

【ブルム クーパーT53 J.ブラバム 1960】

リアエンジンの優位性によって1959年を圧勝したブラバムでしたが、依然そのタイトルは彼の実力によるものなのか疑念が残っていました。しかしこの年の連覇によって、自身がF1のトップドライバーであることを証明します。

全10戦中6戦の有効ポイント制で争われた1960年シーズンは、ファステストラップによるポイントが無効となりレース結果のみでの争いとなりました。シーズン最初の2戦でブラバムはリタイアしますが、開幕戦はチームメイトのマクラーレンが優勝、第2戦はリアエンジンマシンを用意してモスを擁したロータスが初優勝を挙げるなど、前年に始まったリアエンジンの流れは確かなものとなっていきます。

出遅れたブラバムですが、4戦目から怒涛の5連勝を挙げてシーズンの半分を制したことでタイトルを獲得します。この間ライバルのモスはベルギーGPでのクラッシュにより数か月戦列を離れタイトル争いから脱落、チームメイトのマクラーレンとの一騎打ちとなりましたが10歳以上若い彼よりも豊富なレース経験を持つブラバムは勝利を譲りませんでした。ドライバーズがこの2人で争われたことで、コンストラクターズは2年連続クーパーのものとなりました。

シーズン6勝を挙げチームの歴史において最も成功した年となった1960年ですが、以降クーパーの成績は下降の一途を辿り1969年に撤退するまで3勝しか挙げることができませんでした。リアエンジンという革命的なマシンを持ち込んだものの、その優位性を失ってからは開発競争についていけません。しかし軽量小型車の概念はスポーツレースカーの場で結果を残し、ミニ・クーパーの名はクーパーのスポーツタイプの代名詞として今日まで市販車に名前を残しています。

5連勝によるタイトル連覇で名実ともにトップドライバーの仲間入りを果たしたブラバムですが、翌年はチームの不振によって目立った成績を上げることができず、自身でチームを立ち上げることを決意します。以降クーパーというチームがF1の表舞台に上がることは無くなりますが、ブラバムやマクラーレンなど名門オーナードライバーを輩出したほか、ケン・ティレルやロン・デニスら後のF1を支える主要な人物たちもこのチームからキャリアを始めました。リアエンジン導入という実績以外にも、クーパーは60年以降のF1を大きく変えたチームと言っていいでしょう。

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