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デアゴF1 第075号 T51 S.モス

デアゴスティーニ F1マシンコレクション クーパー 1959

無冠の帝王とは

【デアゴ クーパーT51 S.モス 1959】

今年の4月に亡くなったスターリング・モス。無冠の帝王というキャッチコピーが有名ですが、50年代のF1史を見ればただ不運で逃し続けてきたわけではないということがわかります。ミニカーは持っていなかったのですが、デアゴがラインナップしてくれたのでご紹介。メルセデスやマセラティを差し置いてなぜこのマシンなのかは謎ですが……。

Wikiによると父親は歯科医兼レーサーで、母親もアマチュアレーサーであったとのこと。この時代に母親すらレーサーであったとは、とても裕福な家庭であったのだろうと想像できます。下位レースでのチャンスも多かったであろう彼は必然的にF1までたどり着き、1951年から参戦しますが、ここからのキャリアは順風満帆とはいきませんでした。

1954年にマセラティのワークスに所属すると、1955年から時の最強チームメルセデスのドライバーに抜擢されます。しかしこの時のエースは絶対的なドライバー、ファンジオでした。常に彼が立ちはだかるモスのキャリアは、ここから始まったのでしょう。

メルセデス撤退後はファンジオと離れるように、彼がフェラーリならモスはマセラティ、彼がマセラティにくるなら同郷のヴァンウォールへと、意図したかはわかりませんが彼と同じチームになることはありませんでした。彼が引退する1957年まで、いずれもランキング2位に留まります。

ファンジオが引退した1958年はフェラーリのホーソンとの1点差の戦いに敗れますが、これは失格処分になったホーソンを弁護する発言によってこの処分が取り消されたことも含まれての結果です。これがなければ4勝対1勝で圧倒的な差でモスの戴冠となっていました。

また1958年以降はワークスには所属せず、プライベーター、ロブ・ウォーカーレーシングから参加しています。このクーパーと同じマシンでワークスチームのブラバムが王座を取っていますが、同じマシンとは言えプライベーターでは速さに明確な差があったようです。しかしそれでも毎年ランキング上位を獲得していたので、ワークスに乗っていれば戴冠はあったのかもしれません。

プライベーター移籍以降も上位争いをしていたために敗れ続けた印象がありますが、マシンの差を考えればシーズンを通して戦えたこと自体が奇跡的なのかもしれませんね。そう思うと、彼のキャリアのピークはまだこれからだったのではないかという気もします。1962年の事故で引退を発表しますが、本人も早かったと後悔する決断だったのでしょう。

世界チャンピオンにならなかった最も偉大なドライバーという評価を受けますが、これは彼の闘志あってこそではないかと思います。私はモスのキャリアを見ているとき、アロンソを思い出しました。多くの場合世界選手権で僅差で敗れると、復活できなかったり時間がかかるものです。敗れても毎年高いレベルで挑み続けたことこそが、彼の尊敬される理由なのではないでしょうか。

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